画像はhttp://net.keizaikai.co.jp/archives/7690より
目次
元マネーの虎 南原竜樹社長の失敗と成功に学ぶ 年商100億円からホームレスへ。借金苦と現在。名言も。
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1 元マネーの虎 南原竜樹とは?
そもそもマネーの虎って何?という方のために、簡単にご紹介します。
マネーの虎は、2000年代初頭に大人気となった番組で、
年商何十億稼いでいる凄腕の社長さんたちに、これから頑張りたいと思っている志願者が自分の事業をプレゼンして、うまくいけば投資してもらえる・・・という異色の番組です。
ここから成功した人も多数います。
南原竜樹社長も、当時は人を審査する側で、
その当時はなんと年商100億円。
自動車輸入会社を経営する凄腕社長でした。
起業したのは、大学生の頃。
海外に遊びに行ったときに、
「ヨーロッパでは高級車がこんなに安く売られている。これはビジネスになる!」
と閃き、20代で輸入車会社を起業します。
そのための資金は、
吉野家、オートバックス、ガソリンスタンドで8時間ずつ、なんと24時間アルバイトをして貯めたそう。
この時点ですごすぎますよね・・・。
マネーの虎の志願者にも、
「君はまだ寝れているだけいい。俺は寝る暇もなかった」と言っています。
その会社が大成功!
当時の生活はイケイケで、
デパートの紙袋に片方1億円を入れて、それを両手に担いで銀座などを歩いていたそうです。
すごすぎる・・・!
2 当時は厳しすぎる社長として有名。しくじり先生の番組中で当時を大反省。
当時のしくじり、として南原社長は
「やってはいけない上司のパターン」を発表されています。
1 部下の意見を全く聞かない。部下は全員低能だと思っていた。
会議をして部下が全員一致で、「こうしましょう!」というと、
「よし!じゃあ、しないでおこう!」と全く逆の結論を採用していたそう。
それほどまでに
「自分は有能。部下は低能」
と思い込んでいたそうです。
2 部下は自分の駒。働いてもらってるんじゃない。働かせてやってる。
部下の意見は聞かないのは当然として、
たとえば、夜に帰りたい、と言う部下には、
「あ~忙しい。社長の俺があ~忙しい(なのに帰るの?)」
とわざと言い、退社を許さないという徹底ぶり。
これはもはやブラック企業そのものです(´;ω;`)
さらに、お祝い事などの行事がある部下には、わざと出張を命じるなど、とんでもないことをしています。
3 友人の社長を思いっきり見下す
友人の社長が遊びに出かける姿を見たとき、
「あいつは馬鹿だ」と内心思い切り見下していたそうです。
さらに、部下には
「仕事以上に面白い遊びはない。そう思うよな?」
と強調。
「仕事以外のことは考えるな」と、
当時リーダーズ・ハイになっていたとおっしゃっています。
完全なブラック企業ですが、それでも当時250人を超える部下は、
業績を上げ続ける社長に黙ってついてきてくれていたそうです。
3 しかし、2005年に提携企業のMGローバーが倒産。借金30億円を抱え、倒産。
イケイケだった日々も突然終わりを告げます。
取引先だったMGローバーが倒産。
ローバーはイギリス資本最後の車メーカーで、高級車メーカーでした。
しかし、たった5年で経営破たん。
大口取引先だったローバーを失った南原社長。
当時実は純資産が45億円あったそうなので、なんとか乗り切れそうですが、
融資していた銀行が、その事実で30億円の負債をすぐ返済するように要求。
資金繰りが無理となり、その一か月後に社員を全員解雇。
さらにオフィスや事務用品を売り払って、借金を返済したそうです。
4 年商100億からホームレスへ
全てを失ってしまった南原社長。
会社の備品をヤフオクで売って、日銭を稼ぎ、
六本木ヒルズでホームレスをしていたら、守衛に追い出されたんだそうです。
それから求人雑誌を読み漁り、
バス運転手の面接を受けに行って落とされたり、
他の会社の面接を受けに行きますが、
「あんたのような有名人、扱いにくいよ」
「君が入ったら、(今俺が就いている)部長職奪っちゃうでしょ」
「いやいや、あんたが入ったら会社乗っ取っちゃうでしょ」
と有名すぎたゆえにお払い箱。
年齢も45歳だったため、もう就職できる場所もなかったそうです。
おそらく心身ともにかなり参っていたのだと思いますが、
このとき、かつてバカにしていた社長が
「困っているなら助けましょうか?」とまさかの助け舟。
5 南原竜樹。再び立ち上がる
知り合いのバカにしていた社長に助けられ、
「1年後に家賃をまとめて支払います」
と、事務所の1スペースを借りた南原社長。
そこから、資金ゼロで始められる事業は何かと考え、
「人材派遣会社だ!」と思いついたそうです。
これがすごいですよね。
そこから人脈を頼りに、派遣できそうな人を自ら面接し、小さな派遣会社を興します。
このとき、なんと以前解雇していた4人の元従業員が自ら戻ってきてくれたそうです!
「あのときのことは感謝してもしきれない。ありがとうとしか言えない」
とおっしゃっています。
彼らと共に、時には自らも派遣社員として、ホテルのリネンサービスに出向いたり、1年間必死に頑張ります。
その結果、業績が上向きとなり、
起動にのせることができたそうです。
6 ここから虎の快進撃!南原竜樹社長の現在がすごかった!
実際は、輸入車の販売ノウハウもあり、年収2000万で子会社に入って働く道もあったそうですが、自らの事業を選んだ南原社長。
ロータスの子会社にでも逃げて、2千万円ぐらいの年収をもらってやっていく選択肢もあったけどそれはしなかった。簡単に言うと、それでは面白くなかったからです。
もともとお金がない状態から起業したので、以前と同じようにゼロから頑張ろうと。
考えてみたら、ゼロから始めるのは以前より簡単だったんです。最初に起業したときはファックスを買うのにも200万円以上掛かったし、海外との通信費も高かったけど、2度目はケータイとメールアドレスがあればスタートできました。以前は24年間で売り上げを100億円にしたから、今度は半分の期間で同じくらいにすることはできると思いました。
http://net.keizaikai.co.jp/archives/7690/2より引用
この自信こそが源かもしれません。
派遣会社で1年頑張り、資金を貯め、
そこから快進撃は止まりません。
2008年には沖縄のレンタカー会社を買収し、大手旅行代理店を取引先にすることで経営回復。
2009年に自動車の個人売買の仲介業務を主とする「エーティーワンダイレクト株式会社」を設立します。
自動車の輸入販売・中古車売買業及び、電動スクーターの販売を行うオートトレーディング・ルフト・ジャパン。
個人間の中古車売買を支援するエーティーワンダイレクト株式会社。
自らも実験台となって肉体改造を行うパーソナルジム「Livito」を経営するトータルボディデザイン株式会社。
介護・看護の派遣業を営む株式会社ルフト・メディカルケア。
沖縄でのレンタカー事業を行う株式会社ルフト・トラベルレンタカーの5社を経営。
2011年9月にはATパブリケーション株式会社設立(出版業)。
2014年に飲食事業に進出。高級レストランや寿司店を経営。
なんと現在の年商100億!
さらに肉体改造を行い、御自身の筋肉もすごいことになっています。
出典:http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-65-7b/nak0948/folder/520700/34/11616234/img_0
ひぇぇ・・・すごすぎる・・・これも宣伝になるので、本気でやったのだと思われます。
7 南原社長が行った経営方針 失敗から学ぶ成功哲学とは
今度は一つの事業に固執せず、幅広く展開しています。
基本的に、一つの事業を展開し、
その資金で次の事業・・・とどんどん拡大していく感じです。
以前、輸入会社だけで年商100億でしたが、
今度は様々な会社を経営して年商100億だそうです。
そして目標は年商2000億!
さらに従業員数はかつて260人ほどだったのが、現在は3000人。
これは派遣社員も含めてだと思いますが、
あまりにブラックすぎた体質を改善し、皆が楽しく働ける職場づくりを積極的に行われています。
そして、従業員の意見を尊重。経営自体は、従業員とその他の社長にまかせる。
かつては「自分が一番有能だから」と考えていた社長。
しかし、実は従業員の意見で「ローバーは危ない」と言っていた人がいたそうなんです。
その意見を聞いていれば・・・という反省の下、今度は積極的に従業員の意見を取り入れているとのこと。
経営に関しては、取締役としてまとめますが、方針などはまかせているそうです。
かつては、全部自分でやろうとして失敗した。(車を売る行為すら営業マンそっちのけで自分がやることがあったそう)
だから、人にまかせる。
「今は大人の経営ができている」そうです。
とにかく失敗しても、やる。とにかくがむしゃらに頑張ってみる。
「商売の失敗は山で遭難するわけではないので、マイナスではなくゼロに戻るだけ。挫折したと大騒ぎしている奴はただサボッているだけ。中途半端にカッコつけたがるから、ゼロからやり直せない。僕なんかは不安定な生活をむしろ好んでいますから。チマチマ賭けずに、リスクを最大限に取って、リターンは倍になるから、短期間で立て直せたんです」
http://net.keizaikai.co.jp/archives/7690/2より引用
南原社長のすごいところは、経営もですが、
このとにかくやってみる。
頑張る。
ところだと思います。
若い頃にバイトを掛け持ちして資金を貯めたことしかり。
失敗して、1年でがむしゃらに働いて資金を貯めたことしかり。
以前と違うのは、頑張ったら、そこから自分の頑張りを他人に押し付けず、まかせるようにしたことでしょうか。
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8 最後に南原社長の行った事業改革の例
経営が傾いていた旅館は、家族風呂を部屋とひとつなぎにして、露天風呂つき客室にした。
さらに、普通であれば、旅館の料理は原材料と料理人のコストをできるだけ削ろうとするものだが、あえて料理にコストをかけることで
「また来たい!」
「ここはすごい!」
「割安感がある!」などの
リピーターや口コミを増やし、稼働率を上げて大成功。
沖縄のレンタカー会社は赤字に苦しんでいたが、買収後にそれまでハイシーズンとオフシーズンしかなかった料金体系を見直して、徹底的に細分化。
そして削れるところを削って大手旅行代理店にアプローチ。
その結果、取引成立となり、集客力を向上させて経営回復。
う~ん、やっぱりさすがとしか言えません。
「僕に言わせると、ちょっとだけ賢くやれば会社は生き残っていけるんです。普通のことをきちんとこなしていない経営者が日本には多過ぎる」
http://net.keizaikai.co.jp/archives/7690/2より引用
いかがでしたか?
南原竜樹社長の経営哲学と経緯をまとめてみました。
多くの経営者が、一度はどこかで大赤字を出したり、破たんを経験しています。
でも、そこから立ち上がるのがやっぱりすごいなぁ・・・と思ってしまいます。
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