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マリの真の正体!「イスカリオテのマリア」の意味となぜマリが最後シンジと結ばれたのか?考察【シンエヴァンゲリオン考察】
画像はシンエヴァンゲリオン©より引用して考察します。ネタバレを含みますのでご注意ください!
また、あくまで考察なので反論はありでご了承願います。気楽に読んでください。
真希波・マリ・イラストリアスとは?
イギリス出身で、ユーロ支部所属のパイロット。
EVAでの出撃時に「三百六十五歩のマーチ」や「ひとりじゃないの」といった1970年前後に発表された日本の歌謡曲をアカペラで歌う癖がある。
シンエヴァンゲリオンで初登場した真希波・マリ・イラストリアス。
彼女の正体はずっと謎でした。
しかし、シンエヴァンゲリオンの最後のクライマックスシーンで、冬月と数十年ぶりに再会した際、冬月はマリに「後はよしなにしたまえ。イスカリオテのマリア」と伝え、LCL化しました。
二人は顔見知りだったのです。
さらに、え?イスカリオテのマリア?と唐突に登場した言葉に、最初は疑問に思いました。
この疑問について、以下に考察したいと思います。
真希波・マリ・イラストリアスの正体
もともとマリは破でNERVユーロ支部所属のエヴァパイロットとして登場しましたが、実は回想で冬月達と一緒に研究しているシーンが出ています。
つまり、実年齢はゲンドウたちと近いということ。
その正体は、碇ゲンドウとユイの大学の同級生。つまり京都の大学の学生でした(京都大学だと思われる)。
エヴァンゲリオン©
イギリス出身のマリは、その優秀さから16歳で京都の大学に研究生としてやってきます。
所属したのが、冬月の研究室(形而上生物学)。
マリは飛び級してきたため、年齢は少し違いますが、ユイやゲンドウと近い2歳下の年齢で、ユイには妹のようにかわいがられていました。
ユイは1977年生まれなので、マリはそれに近い年齢。だからこそ、マリは1970年代の歌をよく歌うという伏線があった。
そして、3人は同じ冬月の研究室に所属していたため、冬月とマリの二人は顔見知りというわけです。
この辺はエヴァンゲリオンの漫画版14巻を見てください。
ただ、シンジ達は「運命を仕組まれた子供」であり、エヴァの呪縛にかかったからこそ、年を取りませんでした。
しかし、マリはそれを経験していません(仮設5号機でエヴァに初めて乗ったことを喜んでいる)
ということは、マリは単純に「ただの研究生」というわけではなさそうです。
イスカリオテのマリアの意味とは?
では、なぜ冬月はマリをイスカリオテのマリアと呼んだのか?
これは、十二使徒の裏切り者のユダが「イスカリオテのユダ」という名称であること。
*イスカリオテはイシュ・ケリヨト「ケリヨトの人」に由来すると考えられている(ケリヨトはユダヤ地方の村の名)
そして、イエスキリストに生涯従った女性である「マグダラのマリア(新世界再生の証人)」を意味していると考察できます(単純に、キリストの母であるマリアとも考えられます)
つまり、イスカリオテのマリアとは、冬月・碇ゲンドウ・碇ユイ・マリの4人で成し遂げるべきもの=人類補完計画を裏切った存在という皮肉と、
同時に、人類の救世主たりえるイエスキリスト=碇シンジを見守る存在としてのマリアを意味しているのだと思います。
(冬月から見れば、救世主キリストはゲンドウのはずなので、本来マリはゲンドウを支えるマリアとして見ていたという考察もできます)
画像はシンエヴァンゲリオン©Google画像より一部引用
この最後のシーンがまさにその象徴であり、なぜ最後にシンジのそばにマリがいたのか?の理由が、マリこそ生涯シンジを支えるべき存在として描かれたマリアだったから、ということ。
そして、シンジこそ、人類を救った救世主であるキリストだった、ということです。事実、個体としての人類はシンジに救われているので、エヴァンゲリオンはシンジがキリストになる過程の話と言っても過言ではないかと。
では、なぜマリはユダとなって冬月達を裏切ったのか?
それは、マリがユイのことが大好きだったから。
だからこそ、ユイの残したシンジこと「わんこちゃん」を命をかけて守ろうとし、同時にユイの本当の気持ちであるシンジを救うことを実現させようとした(母に代わって守ろうとマリアとなった)ということだと思います。
破の冒頭で「自分の目的に大人を巻き込むのは気おくれするなぁ」と言っていたのも、単純にエヴァに乗ることと、この「ユイの思いを引き継ぐ」にあったのかもしれません。
エヴァンゲリオンのテレビシリーズでは、マリが登場できなかった=裏切り者として始末されていた、という可能性もあります。
でも、シンエヴァンゲリオンでは、マリがマリアとしての役目を果たしたことで、キリストであるシンジの理想が体現でき、結果二人で飛び出していく、という最後になったのかなと。
マリの真の正体は第11使徒か? イスカリオテのマリアのもう一つの意味。
ユイとシンジを見つめるマリの姿がある。
「イスカリオテのマリア」と冬月に言われた時、「超久しぶりに聞いたな、それ」とも応えています。
エヴァンゲリオンには仮設5号機で初乗りしたことを喜び、さらに、年齢が冬月達と出会った頃から変わらない。
このことから、マリはそもそもゲンドウ達と出会った当初から年を取っていない、ということが分かります。
アスカ達はエヴァンゲリオンの呪縛によって年齢が固定されたのに、これは不思議です。
そして、式波アスカが使徒封印柱を解放したことで「使徒化」した一方、マリはそのようなものを一切身に着けていなかったことから、もともとマリは最初から使徒だった、とも考察できます。(アスカとマリがヴンダーでいた部屋は封印呪詛で閉じ込められていた=二人は使徒だったため)
だからこそ、キリストの12使徒であったイスカリオテのユダを用いて、イスカリオテ(使徒の意味)と呼んだのかもしれません。
そう思えば、マリがそもそものきっかけであり、だからこそキリストを産むきっかけとなった「マリア(聖母)」と呼ばれたとも考えられそうです。
あるいは、「イスカリオテのマリア」と呼ばれた時に、「超久しぶりに聞いた」と答えた=もともとそう呼ばれていた使徒だった、という意味かもしれないです。
マリこそが第11使徒という可能性について考察
シンエヴァンゲリオンで実は第11使徒だけは明らかにされていません。
1:カヲル(アダム?)
2:リリス
3:破でマリの仮設5号機により殲滅した使徒
4:序で初号機により殲滅された使徒
5:序で初号機により殲滅された2番目の使徒
6:序のヤシマ作戦で殲滅された使徒
7:破の序盤、2号機により殲滅された使徒
8:破で宇宙から落下してきた使徒
9:破でエヴァ3号機に寄生していた使徒
10:破のラストで初号機に吸収された使徒
11:不明
12:Qのラストで出てきた使徒(マリ曰く「最後の使徒」)
13:カヲル
ゼーレによれば、『リリスとの契約は全10体の使徒の殲滅』とのこと。
これは、第1使徒のカヲルとリリス、第11使徒の3体を除いた数字になっています。
つまり、第11の使徒は登場もせず、殲滅もされていないのです。
個人的には、Qの最後を見て、マリが12使徒を「最後の使徒」だと言っていたので、第11使徒はシンジだと思っていました。
しかし、よくよく考えると、アスカもシンエヴァンゲリオンで使徒化したため、これは当てはまりません。
つまり、この第11の使徒こそ、マリであったと考えられるのです。
考えてみれば、綾波、式波、真希波とクローン体に「波」がついていると思われたが、実は「使徒(化)」を意味していた、とも取れる。
ちなみにテレビ版の使徒は以下になります。
1 アダム(ADAM)
2 リリス(LILITH)
3 サキエル(SACHIEL)
4 シャムシエル(SHAMSHEL)
5 ラミエル(RAMIEL)
6 ガギエル(GAGHIEL)
7 イスラフェル(ISRAFEL)
8 サンダルフォン(SANDALPHON)
9 マトリエル(MATRIEL)
10サハクィエル(SAHAQUIEL)
11イロウル(IREUL)
12レリエル(LELIEL)
13バルディエル(BARDIEL)
14ゼルエル(ZERUEL)
15アラエル(ARAEL)
16アルミサエル(ALMISAEL)
17 タブリス(TABRIS)カヲル
18リリン(人類)
テレビ版から考えると、マリ=使徒とは結び付きにくかったですが、シンエヴァンゲリオンだけで考えると、マリが第11使徒であった可能性は充分あると思います。
もっとも、これはあくまで考察であり、もしかしたら、ユイと同様に実験体となり、その時にエヴァの呪縛にかかって年を取らなくなったとも考えられます(エヴァンゲリオンそれ自体には乗っていないが、、)。
この辺は映画では明らかにはなっていないので、あくまで解釈次第かと・・・(;´▽`A“
ちなみに、マリは漫画版では同性愛者だとされています。
そのため、マリが好きだったのはユイであり、シンジに対しては恋愛感情ではなく、ユイの忘れ形見として「守るべき対象」という意味での愛情があったのだと思います。
ただ、劇場版ではその辺が描かれていないうえ、最後に二人で飛び出したシーンを見ても、マリとシンジが恋人として結ばれたと考えるのもありかな、と思います。
と、ここまでがあくまでシンエヴァンゲリオン劇場版の中でのマリの考察ですが、
次に、エヴァンゲリオンという作品の中でのマリの考察をします。
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なぜマリが最後にシンジと結ばれたのか?現実的に考察
以下、現実的な側面からエヴァンゲリオンを見てみます。
あくまで考察なので公式見解ではありませんし、作品のみを見たい場合は邪魔になるかもしれません。そのため、気にならない方のみどうぞ。
シンエヴァンゲリオンで、唐突に登場した新キャラのマリ。
これはエヴァンゲリオンという作品が庵野監督の投影としてみると、実は奥さんの安野モヨコさんのことを示しているのだと考察できます。
エヴァンゲリオンテレビバージョンの時の庵野監督は35歳。
当時独身であり、まさに碇シンジや碇ゲンドウの心境そのものだったとされます。
(というより、エヴァンゲリオンの登場人物すべてが庵野監督自身の投影)
世界を恐れ、世界から弱い自分を守り、同時に世界に歯向かい、宮崎駿のアニメ観を壊してやろう!という野心もあり・・・登場する人物の全てに監督の心情が投影されています。
当時の庵野監督。肉嫌いなども綾波レイに投影されている。
そうした中でのエヴァンゲリオンの放送が、1995年。
その後、2002年に安野モヨコさんと結婚されました。
そして、2007年に始まったシンエヴァンゲリオン。
そこで、初登場したのが、マリ。
つまり、当時のエヴァンゲリオンの世界には、登場しなかった「妻」という存在が、シンエヴァンゲリオンのマリであり、だからこそ、最後にシンジと結ばれるのは決まっていた、という結末になったのです(劇場版公開当初からこれを考察していた方もいました)。
そして、マリが「マリア」と呼ばれたのも、安野モヨコさんが、庵野監督にとってのマリアだからというわけですね。
仲睦まじい夫婦二人。
奥様のモヨコさんは、シンエヴァンゲリオンが終わってホッとしたようです。
監督は作品に集中するとそれ以外が目に入らなくなるため、サポート含めて献身的にお世話されていたとのこと。
さらに、監督がうつ病などの病気の時にも支えており、まさに監督にとっての「マリア」そのものだったのです。
エヴァンゲリオンが庵野監督自身の投影だ、という見方を私もしていますが、そう考えると、マリという存在は監督の世界観、エヴァンゲリオンの世界観を覆すほどの大きな存在であり、作品には、奥様のモヨコさんへの感謝と愛情が含まれているようなそんな気がしています。
ちなみに、その後、庵野監督自身は安野モヨコさんがマリというのは、一部の解釈でしかない、と話されました。
「マリの人物像(アスカ他もですが)は鶴巻監督の手によるところが大きく、制作時の事実とは違います」「キャラクターやストーリーの解釈は観客の自由な楽しみですし、本作にもファンのフリーな知的な遊び場としての余地を持たせています」と仰られています。
「ただ、偏った憶測でスタッフや家族を貶められるのはあまりに哀しいことなので、この点についてはハッキリと否定しておきます」とのこと。
一部のマリのファンが、安野モヨコさん自身にマリへの批判を入れたため、庵野監督自身が家族をかばったものだと考えられます。
製作者の思いから生まれる=投影されるものなのは、どの作品にも共通することですが、あくまで作品は作品なので、現実の安野モヨコさんに批判が行くのはおかしいことですし、そこは別のものとして楽しみたいと思います。
さらに、渚カヲル君やシンエヴァンゲリオンの考察は以下にまとめます↓(ネタバレ注意)
この考察だと「超久しぶりに聞いたな。それ。」というセリフに噛み合ってない気がする