稀代の哲学者 中島義道 名言集 どうしてもつらくなったときに特におすすめです。

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画像はhttp://toyokeizai.net/articles/-/13940?page=3より

さくら
中島義道さんって、私は初めてお聞きしたのですが、どんな方なんですか?
かれん
主にカントについて研究されている哲学者で、作家でもあるよ♪
さくら
どういうお話なのか、すごく興味あります・・・!
かれん
うんうん。人によっては「え!?」と思うかもしれないけど、特に落ち込んだ時などに見てみると、そんな視点もあるんだ・・・って思えるかも。今日は名言をご紹介します。

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稀代の哲学者 中島義道名言集 どうしてもつらくなったときに特におすすめです。

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1 中島義道とは?

笑顔の絶えない人が嫌い、いつも前向きに生きている人が嫌い、自分の仕事に「誇り」を持っている人が嫌い――。

「え!?」

と驚いてしまいますが、

中島義道先生は、

「前向きに生きなくてはならない」

「夢を持たなければならない」

「就職して、結婚しなければならない」

「人の役に立たなければならない」

などなど、

今の日本では、むしろ当たり前のように(主に大人たちが)思っている価値観を全否定する哲学者です。

その根底にあるのが、

「どうせ、全てはいずれ無に還るのだから」

という一種のニヒリズム。

「どういうこと???」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

と、その前に、中島義道先生の簡単なプロフィールを。

幼少の頃は、統合失調症(分裂病)に強迫神経症が並存し、少なくとも境界型精神病患者であった。

東京大学に進学するも、中々合わずに、遊んだり、進路を決めかねたりして留年2回、退学1回。
学士号2つと修士号1つを得て東大から離れたときには、大学入学から12年が経っていた。

予備校の英語講師として就職するが、2年半にして講師としての人気の無さや自己の現状に絶望。

33歳で、両親の仕送りでウィーン大学に留学。

その後、博士号を得て、東京大学教養学部の助手となる。

しかし、当時の教授に執拗ないじめを受ける。

そして、帝京技術科学大学助教授を経て、電気通信大学教授へ。

現在は、作家として活動。

哲学塾カント主宰。

人生相談なども行っている。

現在のご職業について、先生は「僕は企業勤めは、絶対無理だった。人と一緒に大部屋で仕事なんてできない。教授は部屋にいて、必要なら居留守もできる。あれもダメ、これもダメ、それもダメ、という結果たどり着いた仕事」

とおっしゃっています。

2 ニヒリズムって何だろう?

ここで、ちょっとニヒリズムについて考えてみたいと思います。

いきなりですが、

人の人生はいずれ(ほぼ確定的に)終わります。

「え!(゚Д゚;)」

とビックリですが、このこと自体は子供も理解しているかもしれません。

その先に、天国など、次の世界があるのかもしれない。

あるいは、夢から覚めるように、別の世界に生まれるのかもしれない。

そう思う人も多くいます。

でも、科学的に考えると、

人はどうあっても、原子の固まりで、

物体が、消滅して何も残さないように、

人間も終われば、ただの原子に分解されて、消えていきます(と考えられます)。

意思は?

魂は?

と思ってしまいますが、

実はそれすらも、ただ脳が言葉によって作り出しているにすぎない、と(少なくとも科学的には)考えられるわけです。

「なら、結局何も残らないの?」

この問いに中島義道先生は

「はい」

と答えます。

そして

「何も残らないし、君がいなくなれば、世界も無に還る。だから後のことを考えても意味がない。過去すらも存在してはいない。ただ、【今】を生きなさい」

と。

ひぇ~(´;ω;`)

「俺がいなくなっても世界は残る。だから子孫のために。世界のために」

という考え方はとても一般的ですし、そのおかげで今の時代が作られ、

発展してきたといえます。

しかし、先生はこれすらも否定します。

「いやいや、あなたがいなくなったら、世界も消えるのですよ」

「世界のために、子孫のために、と言いますが、その子孫もいずれは消えて、世界もいずれは消滅するのですよ」

と。

う~ん。

あまり実感がわかない方もいらっしゃるかも。

そこでちょっと考えてみましょう。

とにかく視点を壮大にしてみます。

「自分が消えたら、世界が消える?そんな馬鹿な」

と思ってしまいますが、

「残っているって証明できるの?どうして残るってわかるの?」

と言われると、

自分が消えた後には、それを証明することはできないわけです(そもそも証明できる自分がいないから)。

「自分がいない」⇒「世界を認知する存在がいない」⇒「世界は存在すると言えない」という相対的な考え方ですね。

この世界、というものはどうあがいても、「ここにいる自分」が認知しています。

その自分がいなくなれば、認知されるべき対象としての世界も存在しないのです。

まだちょっと難しい・・・。

「え?世界って自分がいてもいなくても存在してるんじゃないの??」

と思ってしまいますが、この考え方は「絶対主義」と言えます。

(今は物理学でも、考え方は相対的なものが主流です。アインシュタインの相対性理論などはその代表ですね)

絶対主義はどうあっても、物はここに存在している、自分が認知していてもいなくても存在している、という考え方ですよね。

では、この絶対主義から考えてみましょう。

自分がいなくなっても世界は存在しています。

子孫もいます。

しかし、数百年後・・・数千年後・・・数億年後・・・さらに無限とも言える時が過ぎていくとすると、

宇宙はそこに存在しているでしょうか。

少なくとも、地球は寿命が残り40億年ほどですから、消滅しています。

宇宙に進出した人類がいたとしても、

宇宙自体が消えているかもしれません。

つまり、自分が認知していようが、いまいが、世界はいずれ消滅する。

その先には無しかない。

いま地上に生きている六〇億を超える人々も、あと百年もすればほとんどが消え去ってしまう。そして、永遠に地上に戻ってくることはない。こうしたことを想像して周囲の人間風景を眺めてみると、不思議でたまらなくなる。

無しかないなら、そもそも今何をやってもやらなくても、

究極的には意味がない。

「何かのために」に意味はない。

と考えるのが、ニヒリズムであり、中島義道先生なのです。

私はいずれ消えるであろう。そして、私は何も失わないであろう。なぜなら、「あとに残した世界」は完全に無だからであり、せいぜいそこには「あたかもあるかのように」言語によって捏造された精巧な仮象が舞っているだけだからである。

『明るいニヒリズム』より引用

3 ニヒリズムは分かったよ?でも、全部無意味ならどうしたらいいの?

これはかのニーチェという哲学者が挑んだ問題です。

「全ては無意味。だから何をしても意味がない。なら、もう嫌だ・・・」

このニヒリズムに陥っている人に、

ニーチェは、

「一旦、全部無意味と分かるからこそ、あとはとにかく自由になれる。とにかく自分の好きなことをやろう。欲求を大事にしよう!その力への意志に身を委ねよう!」

と投げかけました。

これがかの有名な「ツァラトゥストラはかく語りき」などに代表される考え方です。

中島義道先生も、「好きなことをやる。やりたくないことはやらなくていい」と言うことをおっしゃっています。

無意味だからこそ、余計な価値観や常識や、自分を縛る悩み事なんか全部捨てて、

ひたすら自由にやりたいことやればいいんだよ!と。

「夢ももたなくていい」

「前向きに生きる必要もない」

生きているのだから、いつも前向きになんかなれるわけがない。

林修先生もこのことに共感しています。

「ただ前向きに生きることの賛美は、ただ喰うことの賛美でしかない」と。

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4 そんな中島義道先生の名言を集めてみました。

前置きが長くなりましたが、いよいよ名言まとめです。

共感される場合も、いやいや、と思われる場合もあると思います。

あくまで、中島義道先生ってこんな人で、こういう考え方もあるんだ、と思っていただければと思います。

つらいときに、ぼ~っと眺めていると、人によっては気持ちが楽になれると思います。

ひとを嫌うこと、ひとから嫌われることを人間失格のように恐れなくともいいのではないか。「好き」が発散する芳香に酔っているばかりではなく、「嫌い」が放出する猛烈な悪臭も充分に味わうことができる人生ってすばらしいのではないか。そう思います。

引用『ひとを<嫌う>ということ』より

好きなら、好き。

嫌いなら、嫌いでいい。

嫌われるなら、嫌われるでいいじゃないか。

君は君だ。

というメッセージを感じます。

哲学をしている私が、若い人々に送りたいメッセージは一つだけ。それは「人生とはすさまじく理不尽なものである」という状況をごまかすことなく見据えて生きてもらいたいということです。そうした勇気ある姿勢の中からしか、真実は見えてきませんし、充実した人生も開かれてきません。

引用『生きにくい…』より

人生はとにかく理不尽。

努力は報われるとは限らない。

でも、それでもいいのだと。

生きるのが辛くない人が生きていても、そこにはとりたてて道徳的な価値はない。それはただの自然現象だ。だが、ぼくが三〇年来つきあっている哲学者カントと共に言えば、生きるのが辛いからこそ、それにもかかわらず生きているのは道徳的なんだよ。

『カイン』より引用

辛いのは当たり前のこと。

でも、つらくても生きているのが、「生きる」ということ。

世の中のことはすべて、私にとって究極的にはどうでもいいのだ。どんな悲惨な事件が起ころうとも、どんな理不尽な政治が行われようとも、どんな感動的なドラマが実現されようとも、やっぱりどうでもいいのだ。みんな、どうせ消滅してしまうのだから。

『狂人三歩手前』より引用

何が起ころうとも、

誰がいなくなろうとも、

感動的なドラマで、生き別れになろうとも、

全てはどうあってもいいこと。

だって、そう思う自分自身も、同じく消えてしまうのだから。

強烈なメッセージですね。

少し、悲しくも思いますが、悲しむ自分さえもいつかは消えてしまう。

ならば、それも受け入れて今を最後まで精いっぱい生きよう! 

人生には二通りある。自分がしたいことを見出した者の人生とそれを見出さなかった者の人生である。

『「人間嫌い」のルール』より引用

とにかくやりたいことを四の五の言わずにやれ!というメッセージを感じます。

中島義道先生は、人生の悩みは大抵「安全で無難な道」と「危険で不安だけど、行ってみたい道」を選択するときに、生まれるともおっしゃっています。

このときに、どう選ぶのか。

先生曰く、「迷うことなく、危険な方を選べ!」です。

人によっては、安全が一番!という人もいて、それはそれでいいのですが、

もし、迷っているならやった方が、「どうせいなくなるのなら」、ずっと楽しいんじゃないか?と投げかけています。

本当は、協調性などほとんどなくていいのに、わが国ではこれがないと「生きていけない」と思い込まされてしまう。ここには、すさまじいマインドコントロールが作用している。

『人生に生きる価値はない』より引用

中島義道先生は、学校教育についてはすごく否定的です。

御自身の経験からも、

協調性の洗脳が渦巻いていると考えておられます。

とくに私が滑稽なほど本末転倒だと思うのは、余暇を仕事のための手段と見なす考えである。「仕事に備えて充電するために」休暇を取るのであれば、それはやはりひとつの仕事である。

『哲学者とは何か』より引用

これは面白い見解ですよね(笑)。

確かにその通り・・・。

他人を傷つけることを全身で恐れている人に向かって「なぜそれほどまでに恐れているのか自己反省せよ」と言いたい。すると、その中心に相手のことを思ってということと並んで、いや多くはそれ以上に強力に自分が傷つきたくないという自己防衛的な感情が見られる

『「哲学実技」のすすめ』より引用

これは私自身も反省するところです。

他人を傷つけたくない、迷惑をかけたくない、

という気持ちの裏側には、

確かに「自分を守りたい」「傷つきたくない」という欲求がある気がします。

善良な市民は「ひとに迷惑をかけるな」という言葉が大好きだ。だが、きみやぼくのような人種は、この言葉によってどんなにひどい迫害を受けてきたか分かるだろう? 「ひと」とはこの場合マジョリティつまり大多数の人だからだ。

『カイン』より引用

「人に迷惑をかけるな」

という人は、大抵、

「俺の気に食わないことはするな」

の意味で言っているな~と感じてしまいます。

私は自分に対するいかなる非難に対しても、それほど怒ることはない。なぜなら、私は自分に対するいかなる誹謗中傷よりも自分自身をはるかに「悪い」と思っているのであるから。

『不幸論』より引用

これがまさに「前向き論」に真っ向から反対する考え方ですよね。

自尊心を持ちましょう、と考えるのが良いとされていますが、

中島義道先生は、

「自分が一番、自分を悪いと思っている。今更言われる筋合いはない。あんたもそうだろう?」

と疑問を投げかけている気がします。

親から「誰のおかげで大きくなったのだ!」と問い詰められたら、「大きくならなかったら、誰がいちばん困るんだ!」と言い返せばいい。それは親だからです。

『私の嫌いな10の言葉』より引用

これは屁理屈と言われそうです(笑)。

でも、確かになるほどですね。

他人が何と言おうと、いかに報われなくとも、何の評価も受けなくとも、いや、たとえけなされても無視されても、それがあなたのほんとうに好きなことなら、そしてそれに全力で取り組んでいるなら、それでいいではありませんか。それで充分幸せではありませんか。

『女の好きな10の言葉』より引用

たとえ路頭に迷うことになっても、

自分が好きなことをしているならそれでいいじゃないか、とおっしゃっています。

それは極端かもしれませんが、

「好きなことができないが、カネも名誉も手に入る人生」

「カネも名誉もないが、好きなことをする人生」

のどちらがいいでしょうか

、と問われています。

あなたはどうでしょうか? 

いじめは、協調性の欠如から生ずるのではない。協調性の欠如を非難する態度から生ずるのである。このことを、私も私のまわりの人間関係に悩んでいる少なからぬ青年たちもからだの底からよくわかっているのに、どうして「普通教」の信者たちはこれほどにもアホなのであろう。

『人生に生きる価値はない』より引用

確かに、みんな自由でいい。

と言われたら、と考えてしまいます。

狭いところに閉じ込められて、

「皆と同じ」を強制されるからこそ、

歪みが生じてしまう気がします。

人生に(すでに決まった)生きる価値はないからこそ、自分で好き勝手な価値を創造し、それを人生にまるごと付与するのだ。いかなる枠もなく、自分の奥底から湧き出すものを正確にとらえて、その欲望の実現に励むのだ。

『人生に生きる価値はない』より引用

中島義道先生は、前向きを全否定しているのではなく、押し付けられた前向きではなく、

自分の中から湧き出す価値観に従いなさい、と言っている気がします。

病んでいる人が多い社会、つまり多いことを公表している社会は健全です。なぜなら、人間どう転んでも元気に楽しく幸せにばかりはしていられないからであり、それを無理やりに「そうあるはずだ」として、そうでない人を排除していく社会は危険な社会だからです。『私の嫌いな10の言葉』

「最近ひきこもる青年たちの数が増えて、私は嬉しくてしかたない。この国もそうとうまともになったなあという感慨に耽っている。みんな将来に夢を抱き、邁進している世の中は不気味である」ともおっしゃっています。

うがった言い方をすれば、自己幻想は必要なもので、それがない人は世の中にうまく対応できません。われわれはある意味傲慢だからいいのであって、謙虚すぎて自分のことをまともに見てしまう人はうまくやっていけません。『生きてるだけでなぜ悪い?』

ぼくは傷つきつづけた結果、けっして傷つかない技法を学んだ。ぼくは他人の「存在」を奪い、それを「表象」に降格させた。ぼくは他人を愛することもできず、憎むこともできず、そういうひからびた世界を手に入れることによって強くなった。『カイン』

これはかなり興味深いです・・・。

全て無に帰すのならば、

今ある有も、無に等しく、

現実は表象であって・・・う~ん。難しいです(笑)。

いいかい。絶対ひとに迷惑をかけたくないと思ったら消えるしかないのだよ。しかし、消えることは、きみの親やきみの友人やきみの先生や膨大な数の他人に多大な迷惑をかける。だから、それさえできない。つまり、誰も生まれてきた以上は、ひとに迷惑をかけることをやめることはできないのだ。『カイン』

これは「他人に迷惑をかけるな」と主張する人にこそ、伝えたい言葉。

確かに限度はありますが、そのときは「それに対処すればいい」だけのこと。

迷惑はお互いに当然にかけ合うもので、その中で折り合いをつけていく、というのが良い気がします。

多分人類の記憶は宇宙に一滴も残らないであろう。このことを実感して、夜の電車の中にすしづめになり家路を急ぐくたびれ果てたサラリーマンたちを、その上に揺らめく刺激的かつ下品な吊り広告を見ていると、すべてがガラス細工のようにもろくはかなく美しく見えてくるのです。『哲学の教科書』

最後に、ちょっと素敵な詩的な文を。

全て無意味で、存在も消えてしまう。

だけど、だからこそ美しい。

そんな世界で、自由に生きよう。生きていいんだ。

本を読んでいると、そんなメッセージを感じられます。

いかがでしたか?

ちょっと長くなりましたが、哲学者中島義道先生の名言まとめでした♪

著作はたくさんありますので、読んでみるときっと違った世界を感じられると思います。

お読みいただきありがとうございました。(#^^#)

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