アドラー心理学の教えを分かりやすく要約しました。人生の意味の心理学(嫌われる勇気、幸せになる勇気)レビュー。やりたいことを見つける方法について。

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以前、成功者に共通する性質の一つとして、

「最低2年は続けること」

「やりたいこと、楽しいことを没頭して長時間続けること」

ということを書きましたが、

それでも「そもそもやりたいことがみつからないよ!」という方もいらっしゃると思います。実はかくいう私もそうでした。

そんなときどうしたらいいのか。

今日はその解決法をアドラー心理学から探ってみたいと思います。

かれん
一緒に参考として、ベストセラーになった「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」のレビューも載せています♪
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アドラー心理学の教えとは。嫌われる勇気、幸せになる勇気レビュー。やりたいことを見つける方法について。

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1 まずは自分の今の価値観を考えてみる

まず大前提として、自分の価値観を見直してみましょう。

今の世の中、特に日本では幼い頃から「空気を読む」ことが重要視され、結果として他人に同調する癖がつき、

「褒められることを頑張る」という心理状態になってしまう方々が多いようです。

それは一見社会的に良いことのようにも見えますが、「褒められる」の価値観はあくまで他人目線のもので、自分の中からでてきた感情ではありません。

その価値観に身を置きすぎた結果、

他人に認められる人間、役に立つ人間が偉い(勝ち組)、そうでない人間はダメ(負け組)。自分は役に立っていないからダメなんだ・・・」

という歪んだ思想に苦しめられることにもなりかねません。

そして、その思想やレールからはずれた自分はどうしようもない存在、としてうつ状態に陥ってしまうこともあります。

他者との協調は確かに大切なことですが、それは自分の中の「こうしたい」という欲求があって、それを実現していく中で折り合いをつけるべきもので、

「こうしたい」がない中で「他人を大切に」が先に出ると、自分自身を失ってしまうことになります。

結果的に「やりたいことが分からない」という状態に陥り、そんな若者、あるいは定年された方々も増えていると聞きます。それは望ましいことではありませんよね。

では、どうすればいいのか。

それには最近すごく有名なアドラー心理学が役に立ちます。

アドラー心理学を簡単にまとめると、

1 自分は自分。他人は他人。自分と他人との課題の分離をしっかり行う。他者からの承認ではなく、自らが自分を承認せよ。

2 過去は存在しない。あるのは今だけ。つまりあなたが考えている過去は、今の自分から見て「都合よく」解釈されたものに過ぎない。ゆえに今に生きよ。

3 幸福は共同体感覚を養うことで得られる。真の意味で他人の役に立っているという喜びを得よ。

ということに集約されます(本当に簡単すぎる要約です。 詳しくはアドラーの著作やベストセラーになった「嫌われる勇気」「幸福になる勇気」等をご参照ください)。

以下、詳しく、さっと見ていきましょう。

1「課題の分離」をするってどういうこと?

一見して冷たいような感じも受けますが、

簡単に言うと

自分は自分のできることのみをやるほかないのだから、それでどうしようもないことは考えても無駄である

ということです。

たとえば、同じ学校や職場に私のことを嫌っている人がいるとします。

このとき私は

「お互いに仲良くするよう働きかける」

「自分から離れる」

「他の人に相談する」

といった選択肢をとることができます。

しかし、そこから先で実際に仲良くなったり、関係が改善するかは「彼(彼女)次第」であり、そこを悩んでもどうしようもないのです。

職場に自分に合わない人がいても、自分に変えられることは自分のことだけ。

彼が実際どう行動するか、どのように考えるかは彼にしか変えることができません。

ここを踏み込んで、

「彼にこうしてほしい」、

「彼はこうでなければならない」、

などと他人の領域に手を出すことがダメだとアドラーは言うのです。

アドバイスでも同じです。

挑戦する人や夢を追う人、悩みを持つ人、あるいは無謀なことをする人に

「こうした方がいい」

とアドバイスすることはできても、実際にどうするかは彼次第。

私(たとえば、ご両親)にはそれ以上どうすることもできないのです。

だから、それ以上悩んだり、干渉するのは他人の領域まで背負っているということであり、それは両者にとって好ましいことではありません。

なぜなら、過干渉は依存関係や上下関係による隷属状態を生み出してしまうからです。

子供のため、と思って過干渉する親は、実際は子供を自分の思う通りにしたいだけであり、それは子供を隷属状態に置くのに等しいとも言えます。

子供は力がありませんから、力のある親に恐怖で支配されてしまうとどうしようもないんですね。

結果的に両者は強い依存関係となり、強い依存関係はお互いの自由を奪い続けるので、いずれ憎しみに変わってしまいます。

早稲田大学名誉教授にして、社会心理学者の加藤諦三さんは、このことについて深く言及しています。

上記の依存関係からくる憎しみが、うつや社会不適合などを引き起こす、というものです。

適度に良好な人間関係や心理状態を保つためにも、ある程度のところで「自分は自分、他人は他人」という考え方を取り入れる必要がある、ということですね。

これが一つ目の「勇気」です。

3 過去は存在しない!?

ある意味過激な?考え方なんですが、これは面白いことに同じようなことを述べている物理学者さんもいて非常に興味深いものです。

そもそも過去とは何か。

それは時間という概念において、今という軸より以前のことをさすのですが、それを根拠づけるものは今存在しているものが過去からの因果関係でそこにある、と考える価値観にあります。

それには記憶も含まれています。

記憶とは過去の事柄をそのまま記録したもの、という風に考えがちですが、実際はそんなことはなく、記憶とは自分によって都合よく解釈されたものだと今では考えられています。

そもそも本当に過去というものは存在するのでしょうか。

ここから先は哲学や物理学の領域に入ってしまうので深く追及はしませんが、実際に過去に行けない以上、「本当に」存在したとは100%証明できないわけです。

(因果論を演繹法で仮定することは可能です)。

記憶になると、さらにそれは顕著で、

実際にはなかったことも脳は錯覚や想像で補うため、過去はもはや幻想や夢に近いものになってしまいます。

それを前提に、アドラーのいう「過去は存在しない」の真意を考えると、過去というものは今の自分によって都合のよいように使われる一つの価値観に過ぎない、ということになります。

たとえば、今ものすごく貧乏だとします。

その人はその原因を過去に求めます。

親が離婚したからだ、学費が払えなかったからだ、塾に行けなかったからだ・・・とにかくいろいろな理由が湧き出てきます。

しかし、一方で同じ条件で成功した人間がいたとします。

その人も同じく過去に理由を求めると、親が離婚したから、母のために頑張った、学校に行けなかったから人一倍独学を頑張った、塾に行けなかったから現場で学んだ、などことらも様々に理由を考えることができます。

違うのは過去をプラスに考えているか否か、「そこからどうしたか」の違いだけです。

つまり、過去の事実自体は本来どうでもいいのです

今が幸せなら、過去に原因を求めても今につながる好材料を求めるし、不幸せなら過去を原因としたマイナスな材料を考え出すだけなのです。

それだけ人間の脳は「今」の自分を慰めるために都合よく解釈してしまうということになります。

「未来は過去によって決まるのではなく、過去が未来によって決まる」

これが一つの真理といっても過言ではありません。

アドラーの言いたいことはここにあります。

どんなに過去のことを考えても、それは今の状態から都合よく解釈されたものでしかなく、事実とは関係がない。

つまり「本来の意味の正確な過去は存在しないのだ」。

トラウマもすべては今の自分がそれを利用して、行動したくない理由づけにしているにすぎない。

だからこそ、過去を語るのは止めて、今に生きよ、と。

フロイト心理学では過去の原因から今の症状を考えるので、この考え方は画期的でもあり、少々残酷でもあります。

でも、確かに一理あるのです。

もしも、今、自分が置かれている状況で不都合なことを過去のせいにしていたら、それは自分が過去を都合よく解釈しているだけではないか?と考えてみるだけでも世界観が変わってくるかもしれません。

いずれにせよ、どうあがいても人間は今、そして「これから」を生きていくしかないのですから。

これからどうするか」。

大切なのはその一点ということになります。

そして、これこそが、嫌われる勇気、幸せになる勇気で強調される、「勇気」の一つなのです。

4 共同体感覚を持つと幸せになる?

これはつまるところ人間は誰かの役に立っていると実感したときが最も幸福である、ということです。

文頭で他人の価値観で生きることは苦しいと書いたのに、矛盾していそうですが、

重要なのは「幸福を感じるか」であって、嫌々他人の価値観に従って自分を失うということでは決してありません。

理想は自分のやりたいことを追求し、その結果として他人に役立っているという感覚を得られる、ということであり、

他人の役に立つために自分を我慢する、という逆の視点ではないことに注意が必要です。

結局、やりたいことを追求すること自体幸せだが、その幸福は共同体に貢献しているという感覚をもって最大限に高められる、ということですね。

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 5 本当にやりたいことを見つける方法

以上の3点を踏まえた上で、本題の「やりたいこと」の見つけ方を考えます。

第一に、「自分は自分、他人は他人」という価値観をもって、他者に依存し、依存されることを止め、他人が望むやりたいことではなく、自分自身の「本当に」やりたいことを見つける覚悟を持つ。

第二に、過去は考えない。大切なのは未来にどうありたいか。

未来にこうだったらいいな、というイメージを自分の快適になる環境や心境を思い浮かべ想像する。

この想像には限界は考えない。

つまり今、お金がないから無理とか、仕事がないから無理、病気だから無理、などと原因から結果を決めてしまわないようにする。

お金持ちな自分、健康な自分になりたければ、その未来から逆算して今の行動を決めていく。

そうすることで実際の課題のプレッシャーも少なくなる効果があります。

七つの習慣を含めたビジネス本にも、似たようなことが書かれています。

自分に望ましい結果を考えることで、意識を快適な方向にもっていき、結果として試練として感じることや努力の苦しさが緩和されるということです。

最後にやりたいことが出たら、それが他の人にも喜ばしい結果になりうるか、まで考えるとさらに夢を追うことが楽しくなります。

それでもまだ「全然やりたいことが思いつかないよ!」という場合、一番推奨されるのが、睡眠です。

「え!?Σ(゚Д゚)」と思ってしまいますが、ジョークではないです(笑)。

全くやりたいことが思いつかない、というのはそれだけ周囲に酷使され、精神的にも肉体的にも疲弊してしまっている証拠。

そういうときは無理をせず、他人のことも考えず、とにかく休みましょう。

「もう嫌だ」というくらいまで寝るのがベスト。

充分に寝たら、今度は食事をとり(これも本当に食べたいと感じるものがベスト)、部屋のそうじをします。

え?そうじ?とあなどるなかれ。目的は体を動かすことそのものにあります。

不安な時、悩んでいる時ほど、体を動かすのがもっとも有効とされています

それが薬を飲む以上に有効な方法です。人間は行動をしているときに深く物事を追求して考えることは難しいです。

バスケットボールをしながら、物理の勉強なんてまず一般人には無理ですよね(笑)。

それは極論ですが、脳内では行動をしていると、悩みごとに関しての意識の分散が起こります。

つらいときほど、体を動かし、忙しくしてしまう。それが結果的に立ち直りを早くし、うつというとんでもなくつらい状態を避ける重要なファクターになります。

30分の軽い運動は抗うつ剤一本分に相当すると言われていますから、副作用もなく、もっとも有効な方法だと思います。

理想は筋力トレーニング。筋肉を動かすと、脳も鍛えられ、ポジティブになれるホルモンや脳内の神経回路の発達に大いに貢献します。

ここまでやれれば、そのときには少なくとも日常のささいなことでやりたいことがでてくるのではと思います。

あとはそれに没頭しましょう。

とにかく小さいことでいいので、やりたいことを一つ一つ、やっていくのです。

他人のことは気にせずに。

そういうときは迷惑をかけたって構いません。

(迷惑をかけないで生きられる人間など存在しないのです)

それが自分の中の本来あったはずの「望み」を開くきっかけになります。

また、世界の広さを知ることも良いと思います。自分が生きている世界は実際はとんでもなく小さいものです。

部屋の中が全てのような感覚になってしまいますが、周囲に何もない平原や海を眺めると世界の広さを実感できますし、様々な文化や風習を知ることでも価値観に是非はなく、本来は全てが自由である、と気づくことができます。

テレビでもネットでもいいですし、旅行に行くのもいいと思います。

日本は結構あちこち同じ風景になりがちなので、北海道や海外など普段住んでいる場所とは違う所がおススメかもです。

やりたいことが見つからない、自分探しをやってみたけど、ダメだったという方、ぜひお試しください。ヽ(*^^*)ノ

明日が楽しくなる心理学まとめはこちらからどうぞ♪

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