ゴジラ-1.0ネタバレ徹底考察&感想!あらすじとラストの首の印とゴジラ再生の意味を解説!【ゴジラ マイナス ワン解説】

かれん
ゴジラ-1.0を見てきました☆
さくら
シンゴジラに続くゴジラの最新作ですね!どうでしたか?
かれん
うんうん。正直言って・・・今世紀最高の作品・・・ゴジラ映画では間違いなくナンバーワンと言っていいくらいの衝撃の作品だった・・・(呆然)。個人的には最近の作品だとトップガンマーヴェリックさえも超えてぶっちぎりに面白かったよ!
さくら
そんなに!?かれんさんがそこまで褒めるの珍しいです。ゴジラ作品だと今回は完全に独立したお話なんですよね?
かれん
うん!今作は山崎監督の作品なんだけど、実はこの続きとして同監督作品のALWAYS三丁目の夕日につながるようなメタファー(遊び)演出があるんだ。そして、なんとラストにはシンゴジラばりの伏線が残されていたよ♪
さくら
そうなんですね!他のゴジラ作品を見ていないと分からないところなどありましたか?
かれん
うんうん。基本的には独立した作品として、全くゴジラ作品初見の方でも楽しめるのは間違いないけど、ラストの浜辺美波さんの首のアザの印とか、ゴジラの再生とかその辺含めて過去作品を見ていないと分からないところがあったように思うんだ。その辺含めて解説するね☆
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ゴジラマイナスワンネタバレ徹底考察!あらすじラストの典子の首の印とゴジラの再生の意味を解説!【ゴジラ − 1.0】

以下、画像はゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©より一部引用して考察します。

使用画像は全てゴジラ マイナス ワンの公式YOUTUBEおよびパンフレットからの引用になります。

場面を追いつつ、感想と考察を書くため、あらすじのネタバレを大いに含みます。そのため、未鑑賞の方は鑑賞後に見ていただくことをおすすめします!

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ゴジラマイナスワンの登場人物

敷島浩一/神木隆之介

日本に戻ってきた帰還兵で、空襲によって両親を失い、家も焼かれた状況の中で典子と出会います。

元々第六〇一海軍航空隊に所属していた特攻隊員。

しかし、死への恐怖から戦場に向かう途中で逃げ出し、大戸島に故障を装って着陸します。

そこで、ゴジラと遭遇し、臆病風に吹かれて何もできなかったことで、島にいた守備隊が全滅。

以後、彼の人生はゴジラによって決定づけられていくのです。

ちなみに、実戦経験はないですが、飛行訓練を優秀な成績で卒業したエリートパイロットでもあります。

大石典子/浜辺美波

闇市にて泥棒をして追いかけられていたところ、敷島に助けられ、以後一緒に住むことになった女性。

東京大空襲で両親と家を失い、さらに、逃げる途中で見知らぬ女性に赤子の明子を託されながらも、それを見捨てることなく、母として育てることを決意した優しくもたくましい女性です。

敷島の家に半ば強引に居候しつつも、銀座の事務員になるなど、自立心も強い女性として描かれています。

映画の中盤でまさかの途中離脱をしますが、ラストに復活し、さらに次回作につながるような大きな伏線を残していきました・・・。

橘宗作/青木崇高

大戸島分隊所属の元航空整備兵。

敷島が着陸した大戸島で、敷島の嘘を見破り、敷島の臆病さが招いた悲劇で彼に恨みを持っています。

一方、義理に厚く、部下に慕われる一面も。

物語の終盤で再登場し、その際には、敷島を男として認めるような今作でもかなりの見せ場を作りました。

秋津清治/佐々木蔵之介

敷島が働くことになった新生丸の艇長。

戦後処理の機雷処理という特殊任務を国から依頼され、嫌々ながらも「誰かが貧乏くじを引かねばならない」と、男らしい一面を見せる日本男児。佐々木蔵之介さんの豪快な演技がまさにピッタリ!

野田健治/吉岡秀隆

同じく新生丸で「学者」と呼ばれている元兵器開発部所属の技師。

実際、かなりエリートだったようで、物語の中盤以降、ワダツミ作戦の中心人物となります。

役はALWAYSからの吉岡さん。やっぱりうまい。

水島四郎/山田裕貴

同じく新生丸で働く雑用係の船員。

戦争未経験のため役立たずと言われつつも、同年代の敷島に親しみを覚えていい仲間になります。

最後の最後に、すごくいい仕事をして、「今後の日本を導く若者」として自立した描かれ方をしました。

太田澄子/安藤サクラ

敷島が住む家の隣人。空襲で子供を3人失い、半ば自暴自棄になって嫌味を言う嫌な人でしたが、敷島や明子の面倒をよく見てくれる姉御肌の実はいい人。

今作のお母さん的存在。

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以下、実際に、ゴジラマイナスワンのあらすじを見つつ、細かく考察していきます。

ネタバレを含みますのでご注意ください!

1舞台は戦中の1945年の日本。大戸島から始まる。

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

舞台はもうすぐ戦争が終わる日本で、ゼロ戦パイロットの特攻隊である敷島浩一少尉が、飛行修理を行う大戸島にやってくるところから始まります。

優秀なパイロットでありながら、死ぬことを恐れた敷島は、特攻兵でありながら、戦場から抜け出して、故障したと嘘をついて逃げてきたのです。

それを整備兵たちに見破られるも、何食わぬ顔で過ごしていた敷島。

しかし、その夜、島に謎の恐竜らしき生物が襲来したのです。

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

島にいた整備兵と守備隊は、その恐竜の襲撃によって、整備班のリーダーである橘宗作と敷島を除いた全員が全滅してしまいます・・・。

大戸島の住民の伝承によると、その怪物の名はゴジラ。(正確な標記は呉爾羅)。

深海魚が浮き上がってきた日には、その怪物ゴジラがやってくると恐れられていたとのこと。

この時のゴジラはまだ大きさが全長15mくらいで、ライフルではどうにもできませんが、戦闘機の20mm機銃なら、倒せるレベルでした。

そのため、リーダーの橘宗作は敷島にゼロ戦の機銃でゴジラを撃つように頼みましたが、敷島は零戦の操縦席に座っても怖さで震えて何もできずに逃げ出し、隊を全滅させてしまったのです・・・。

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©パンフレットより

ゼロ戦の射程に入ってもゴジラを目の前にして何もできなかった敷島。実際、こんな怪物がいきなり目の前に出てきたら、腰が引けて体が動かなくなるのは仕方ないように思います・・・。

ただ、この場面では、特攻隊からも逃げ出し、ゴジラからも逃げ出した敷島という人間の臆病さと、それをきっかけにした今後の大災害、敷島の責任と、ラストの戦いへの覚悟につながる重要な部分が描かれています。

確かにこの場面では、ゴジラはまだ放射能を浴びていないため、身体が小さく熱戦放射能力もないため、再生能力はありつつも、機銃で撃てば追い返すことができたかもしれません。

それをしなかった敷島のせいで、多大な被害が出た、という見方も可能です。

ただ、皆がゴジラの再生能力のことを知るのは後ほどのことであり、それを考えると機銃で撃っても倒すことは出来なかったのではないか?と思います。

そして、翌日生き残った橘宗作から「皆死んだぞ!死んだんだぞ!」と敷島は責められることになったのです。

1945年8月の終戦を迎えて、敷島は帰還船にて東京に帰ります。

しかし、そこで橘宗作から死んだ仲間達の写真を怒りの表情で渡され、敷島はその罪悪感と絶望感で苦悩することになるのです。

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【ゴジラちょこっと感想と考察】大戸島はオマージュ。

戦中の日本ということを考えると、特攻隊のパイロットであり、空軍であった敷島はエリート中のエリートの少尉。

守備隊の人々が敬語で接するのも当然と言えます。つまり、彼等にとって敷島とはスーパーヒーローのような存在でもあったわけです。

実際に凸凹の飛行場に見事着陸させた腕前やラストの飛行能力を見ると、いかに敷島がエリートなのかが分かります。

しかし、そんなヒーローは実は逃げ帰ってきていて、助けを求めても何もできなかった。これは彼等にとって絶望であり、同時に言いようもない怒りに変わる充分な理由でもあったわけです。

橘宗作が敷島に怒っていたのも、自分の気持ちとしては戦いたい、しかし、その能力がないゆえに皆を守れないという無力感ゆえの自分への怒りが混ざっていたのかもしれません。

ちなみに敷島は菊水作戦の生き残りです。

菊水作戦とは、沖縄の連合国軍に対し特攻攻撃を実施した日本海軍の作戦であり、敷島の軍服に「六〇一」という刺繍がされていることから、敷島浩一が第六〇一海軍航空隊に所属していたことが分かります。

ゴジラ©東宝©

さらにちなみになんですが、作中に出てきた大戸島という島は架空の島で実在しません。

実はこの大戸島は初代ゴジラが初上陸した島であり、過去作品のリスペクトとして登場したんですね。

初代のロケ地は三重県の鳥羽市石鏡(いじか)とされていて、今でもゴジラファンにとっては有名な聖地となっています。

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2東京に戻ってきた敷島。大石典子との出会い

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

東京に帰ってきた敷島。時は1945年12月。

しかし、そこは東京大空襲の後、ボロボロに焼野原となった東京でした。

実家に戻っても、すでに家はなく、両親もすでに他界していたのです。

さらに、隣に住んでいた太田澄子からは、「あんたら軍人がしっかり守らないから、私の子どもたちも皆死んだんだ!この恥知らず!」と責められる始末・・・。

戦中はヒーローだった軍人の敷島も、戦後ではむしろ戦争の責任を負わされる側として非難の対象になっているという面が描かれます。

そんなある日、復興に向けて進む東京の闇市の中で、泥棒をして逃げる少女、大石典子(浜辺美波)と出会うことになります。

ひょんなことから大石典子とその赤ん坊を助けた敷島。

敷島のやさしさを見出した典子は、敷島の家に転がり込み、奇妙な3人暮らしが始まることになったのです。

ちなみに、典子が連れていた赤子の明子は、空襲の時に見知らぬ女性から託された子供とのこと。

ここでは典子のやさしさと戦中のなりふり構っていられない必死さが垣間見えますね。

しかし、敷島は「バカなんじゃないですか!?大平楽していられる身分じゃないでしょう!」と典子に言いのけるのです。

【ゴジラちょこっと感想と考察】パンパンの意味は?

無事に東京に帰ってきた敷島を待っていたのは、まさかの焼野原に両親の他界という過酷すぎる現実でした。

さらに、軍人であったことすらも隣人に責められる始末。

とんでもなく悲しい現実ですが、これが実際に過去にあった話だと思うと、いかに現代人が恵まれているのか、とまざまざと感じます。

さらに敷島はゴジラに襲われたというPTSD(心的障害)に加えて、サバイバーズ・ギルト (生き残ってしまったことに対する罪悪感)を患い、夜な夜な苦しむことになります。

「俺は本当はあの島で死んでいるんじゃないか?この現実こそ夢なんじゃないか?」と夜な夜な悪夢にさいなまれ、典子に縋りつくシーン。

さらに、軍人であったことを責められるシーン。

そして、闇市やそこを歩く派手な衣装の女性た(パンパン)。

戦後日本と軍人の姿がすごく丁寧に描かれています。

典子に対して「パンパンになるのも仕方ないでしょう!」と返す敷島は、それだけ皆生きるのに必死だったことを示していますよね。

ちなみに、パンパンとは今でいう立ちんぼ。在日米軍相手に身を売って稼いでいた女性たちです。

今ではパパ活だのと軽く言われていますが、私の祖母の話だと、当時パンパンは思いのほか多く、同時に敵に身を売る最低の女性として思われていたとのこと。

でも、そうしなければ生きていけない時代であり、帝国軍人だった敷島が、典子に「それも仕方ない」とさえ言ってしまうほどの余裕の無さの象徴とも取れますね。実際、敷島も仕事がなく、暮らしは大変まずしかったことが分かります。

一方、敷島を冒頭で責めながらも、明子に食べさせるために当時大変貴重な白米を分け与えてくれた隣人の太田澄子。

めちゃくちゃ嫌味で今後隣近所付き合いをどうするんだと思っていたら、意外とすごくいい人で、彼女も自分たちの子どもたちを失った悲しみで当時は耐え切れずに、その思いを敷島にぶつけていたと分かります。

そして、同時に白米を分け与えてくれる&やさしさを見せたという描写は、日本が少しずつ復興に向かって行っているという描写のような気がします。

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3ゴジラが進化!そして再び戦いへ

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

1946年3月。戦後1年目。

敷島はなんとか居候の典子と明子の二人を養うために、復員省から紹介を受けて磁気式機雷の撤去の仕事を受けることになります。

復員省というのは陸軍省や海軍省がなくなった後、機雷撤去などの作業を担当した省庁です。

「命の保障はないんでしょう?」とやめるように言う典子でしたが、

「このままだと3人とも飢え死にするだけだ!」

と敷島は反対を押し切って参加します。

ここで出会ったのが、若手の水島四郎(山田裕貴さん)、元技術士官の野田健治(吉岡秀隆さん)、船長の秋津淸治(佐々木蔵之介さん)でした

特に、技師の野田は元兵器開発部にいたとのことで、彼がトップエリートであったことがうかがえます。

磁気式機雷に反応しないように作られた木製の特設掃海艇「新生丸」(ボロボロの木造船とも言える)に乗って4人は、機雷撤去に乗り出すのです。

そこで浮かび上がってきた機雷を30mm機銃で撃って爆破処理する際、敷島のエリートっぷりが発揮され、見事に命中。

最初は「こんなのが役に立つのか?」と言われていた敷島でしたが、功績が認められ、4人は信頼できる仲間として絆を深めていくのです。

給料も良く、典子も銀座で事務員として働くことになり、周りと比べて立派な家まで再建した敷島。

順風満帆に戦後日本の復興シーンが続くかと思われた矢先、ここで再びゴジラの脅威が始まります。

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1946年7月。

ビキニ環礁で行われたクロスロード作戦

クロスロード作戦とは、ビキニ環礁で21キロトン級原子爆弾を用いたエイブル実験とベーカー実験からなるもので、広島と長崎に落とされた原爆に続く史上4回目と5回目の核実験です。

(ビキニ環礁は第五福竜丸で有名ですが、これは1954年3月1日のことなので、その前ですね、詳しくは後述します)

これによって、ゴジラは核実験により放射能を被爆。

放射能に汚染されたG細胞は爆発的に進化し、結果的に体長は50メートルを超える超大型サイズとなり、さらに、体内に核融合反応を起こして熱線を発射する能力を得てしまったのです。

その巨大化したゴジラによって駆逐艦ランカスターが沈められ、その後潜水艦レッドフィッシュがゴジラの背びれの写真を撮ったことで、GHQのマッカーサー司令官がゴジラの存在を知ることになります。

しかし、アメリカはソ連との冷戦に突入する時代であり、ソ連との関係性悪化を避けるために、連合国軍を動かすことはできないと日本に通達します。

その結果、日本は独自にゴジラに対応せざるを得なくなり、さらに、GHQによる帝国軍解体の影響もあって、日本には軍隊はゼロ。

(当時の日本には軍隊組織はなく、1950年の朝鮮戦争時にGHQの指令により警察予備隊が総理府の機関として組織されました。そのため、この時代で日本に自分で身を守れ、と言ったのはまさに日本は滅亡しても構わないという伝令に等しい行為です。現実には、おそらくアメリカは対ソ連基地として日本を守るはずなので、アメリカ軍が出撃しないのはちょっとおかしな気もします)

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

1947年5月。

そんなゴジラが東京湾に向かって進撃してくることを知った政府は、巡洋艦「高雄」が到着するまでの間、時間稼ぎをする役として「新生丸」を指名します。

ゴジラに対して用いる武器は、まさかの13mm機銃と、回収した機雷のみ。

機銃が全く通じない上、機雷のダメージさえもすぐに再生してしまうゴジラ。

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

絶体絶命のピンチに、敷島はゴジラの口の中に入った機雷を機銃で撃ち抜くことに成功します。そして、ゴジラは内部からの攻撃には弱いことを発見します。

しかし、顔半分がはじけ飛んでも、またすぐに再生してしまうのです・・・。

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

そんな中、ようやくシンガポールから到着した高雄艦船!

しかし、高雄の重砲撃すらもゴジラにはほとんど通じませんでした。

しかも、その直後に高雄をかみ砕き、さらにゼロキロ射撃でゴジラを一旦沈めた高雄を、ゴジラは海中からの光線一発で沈没させてしまいます。

ゴジラの圧倒的な蹂躙を目の当たりにしながら、命からがら逃げだす新生丸。

彼等の目にはもはや希望は残っていなかったのです。。。

【ゴジラちょこっと感想】ゴジラはなぜ巨大化したのか?

東宝©

今作では、大戸島の伝説であった恐竜のゴジラが、1946年のクロスロード作戦による原爆実験によって、巨大生物ゴジラに進化しています。

これに関して補足すると、初代ゴジラは、1954年3月1日にビキニ諸島で水素爆弾実験が行なわれて被爆した第五福竜丸事件が映画製作のきっかけとなっています。

さらに映画キングコングの影響も受けて、1954年にゴジラが公開されました。

初代ゴジラの設定では、古代生物だったゴジラがビキニ環礁の水爆実験によって生活環境を破壊された結果、人間が自分たちを苦しめたと知って怒りを抱き、日本近海で貨物船や漁船を何隻も襲撃しては沈めていくようになった・・・となっています。

この辺のゴジラに変異した設定は、シリーズによって若干の違いがあり、放射線の影響で進化した、というものもあれば、単に生活環境を追われたから、というものもあったのです。

今回のゴジラ-1.0のゴジラは山崎貴監督が「原爆のダメージを完全再生できずにエラーを繰り返した結果、巨大化した」とのこと。

つまり、放射能の結果として再生能力を得て進化したのではなく、あくまでG細胞(ゴジラ細胞)という超再生能力を持つゴジラが、原爆によってボロボロに破壊された結果、その再生の過程で放射線による遺伝子汚染と再生エラーの繰り返しで細胞分裂しすぎた個体になった、という説明があっている気がします。

ちなみに初代ゴジラのサイズは50メートルで、ゴジラのサイズは基本的にはこの50メートルとなっています(平成ゴジラシリーズはさらに巨大化しており推定100メートルと2倍以上になります)。

今回のゴジラの大きさは50.1メートルですが、この0.1という数字に意味はなく、単純にCGの関係で0.1メートル伸びたそうです。

この体の大きさにもこだわりがあって、50メートルというのは昭和においてはビルのてっ辺に当たる大きさ。つまり、巨大とは50メートルが基準だったことが分かります。

その後、1984年の復活ゴジラは80メートル。建造物の大きさが高くなるにつれて大きくなっていきます。

平成になると、タワーも含めてさらにビルが巨大化したため、ゴジラの設定も100メートルとなったのです(ゴジラVSスペースゴジラなどは福岡タワーがぴったりの高さにあって面白いです)。

その後、シンゴジラでは設定上、最大となる118.5メートルとなりました。

ただ、シンゴジラのゴジラは未知の完全生物という設定で、見た目も含めて従来のゴジラとはかなり異様な姿でした。

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4ゴジラ遂に銀座に上陸!敷島と典子を悲劇が襲う・・・

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

海上にてゴジラから逃げ出した新生丸。けがをした敷島は横須賀の病院で目を覚まします。

政府は高雄が沈没させられたことを公表せず、情報統制をします。

「この国の政府の十八番さ」

と皮肉を口にする秋津艇長。

一方の敷島は、ゴジラへのトラウマと過去への後悔から毎晩悪夢にうなされ、典子にすがるように、過去を告白することになったのです。

「僕は特攻から逃げた人間です。出撃の日に故障したフリをして大戸島に不時着し、そこで怪物ゴジラを見たのです。そこでも僕は逃げて・・・僕は生きていちゃいけない人間なんだ!」

プライドが高く、逃げることが恥とされていた時代に、女性に自分の罪と恥ずかしい部分を吐露する気持ちはどんなものだったのでしょうか。。

しかし、典子は

「生き残った人間は生きていかなきゃならない。私の両親も火に焼かれながら、生きろと言ったんです!」

と敷島をその胸に抱いて慰めるのでした・・・。

この瞬間は、まさに仮面夫婦のように、一定の距離をおいて接していた敷島と典子の心の距離が縮まり、本当の意味での絆が芽生えたシーンのような気がします。

そして敷島は「もう(過去への後悔と苦悩を)終わりにしてもいいですか?」

「もう一度生きてみようと思うんです」

と両親の仏壇に希望を語るまでになりました。

ここで夫婦としての敷島と典子の新しい希望の道が開けるかと思いきや・・・。

そんな希望を抱いたのもつかの間、ついにゴジラが東京湾に襲来したのです!

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

当時銀座で働いていた典子は、まさに目の前でゴジラに襲われることになってしまいます。

ここが、今作の一番の見せ場シーンとも言える、銀座大決戦です。

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

逃げ惑う人々を蹂躙する、まさに天災の化身としてのゴジラ。

国会議事堂からの戦車部隊による砲撃。

そして、そんな戦車に向けて放たれるゴジラの熱線。

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

ゴジラの圧倒的な放射線による核の熱線は、戦車部隊をあとかたもなく消し去り、さらに、その爆風が銀座の街を襲います。

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

間一髪のところで、なんとか典子を見つけ出した敷島でしたが、

ゴジラの熱線による核爆発によって、直後に町は吹き飛ばされ、同時に敷島を守ろうとした典子は、とっさに敷島をビルの路地に押し込み、自分は爆風によってはじけ飛んでしまったのです。。。

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

気が付いたときには、その場に残されたのはただの瓦礫の山と、降り注ぐ黒い雨・・・・。

最愛の人だった典子は自分を守るために犠牲となり、

その先にいたのは、ゴジラ。

絶望と怒りによって我を忘れた敷島は、無力感を感じさせるむなしい咆哮を、ただ去っていくゴジラに向けることしかできなかったのです・・・。

【ゴジラちょこっと感想】

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

今作一番の見せ場シーンとなった、ゴジラの銀座襲来。

今作のゴジラが決して人の味方などではなく、圧倒的な暴力の化身として描かれているシーンでした。

この時に流れるゴジラのテーマの曲が本当に最高!

ゴジラ泣き(ゴジ泣き)の第1番でした。

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

圧巻なのが、びゅんびゅんと空を飛ぶように描かれる電車やバス。

ゴジラの圧倒的なパワーや非日常を強く感じさせるシーンでしたね。

さらに、銀座は道路で埋め立てる前は川が流れていた、とのことで、今の銀座を象徴する「数寄屋橋」の交差点にも、かつては「外堀川」が流れており、1958年に高速道路の建設にあわせて撤去され、外堀川は埋め立てられたそうです。

日本経済新聞より引用

銀座の中心地は川が流れていたことが分かります。それゆえに新橋や数寄屋橋という場所が今も残されていることを考えると感慨深いです。

その辺の時代背景も丁寧に描かれていて、典子が川に飛び込むシーンが印象的でした。

出典:wiki

また、当時銀座の中心地にあった日本劇場。

実はここは第二次世界大戦の空襲でも被害を免れたという場所であり、それをまさかのゴジラが破壊する、という演出でした。

後程詳しく考察しますが、このゴジラという存在は、天災であると同時に、戦争終結後に救われなかった犠牲者たちの魂の象徴という風にも描かれているように思われます。

そのため、戦争によって犠牲になった者(原爆で被災したゴジラも含む)が、戦後に人生を謳歌する人々が集まり、戦争でも破壊されなかった日本劇場を徹底的に破壊する、という演出は犠牲者たちの魂の怨念と憎しみを現わしているように思えるのです。

円企画プロフィール©

さらに個人的にびっくりしたのが、ゴジラ襲来に驚く民衆の中に橋爪功さんがいたこと(笑)。

こんな贅沢な起用はない、と思いますが、昭和を代表する名わき役の一人としての登場に、個人的にはテンションが上がりました(ちなみに橋爪さんは個人的な記憶ではゴジラシリーズでの出演はなかったはずです)。

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

それにしても、驚いたのが大石典子(浜辺美波さん)の死でしたね。

これは後に伏線として残されるのですが、順風満帆にこれから希望をもって家族になっていくのだろうと思った矢先に、突如訪れる別れには、正直(隣の人が引くくらい)ぼろ泣きしてしまいました・・・。まさにゴジ泣き・・・。

敷島が急いで典子を助けに危険地に赴いたのも、あの雑踏の中で典子を見つけ出したのも、そして、典子が最後に敷島を助けたのも、全て二人の間にしっかりと作られた絆(愛)ゆえと思えた矢先の出来事でした。。。

この時の神木くんの演技は、個人的にはすごくよくて、人が本当に絶望した時は涙とか叫びとかよりまず、頭が真っ白になって声もろくに出ないで茫然とする、という演技がぴったりはまっていて、すごい役者さんだなぁと思いました。

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5ワダツミ(海神)作戦の開始。敷島の覚悟。

典子を失った敷島は自暴自棄となり、失意のまま過ごす日々。

しかし、そんな敷島に元技師の学者こと野田健治が「ゴジラを一緒に倒しませんか」と誘いをかけます。

ゴジラによる襲撃で3万人という犠牲者を出し、放射能汚染区域となった銀座。

その悲劇を止めるために集められたのが、民間人によるゴジラを倒すための会議「巨大生物對策説明会」でした。

GHQによる軍の解体や政府の責任の押し付け合いなどで、日本政府は全くあてにできない状態の中、元兵士による有志の集まりによって遂行される作戦です。

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

その立案者となったのが、まさかの新生丸の仲間であった学者こと野田。

ここに、彼がいかに優秀な技師だったのかに驚く仲間達の姿が描かれます。

野田は、ゴジラの周囲をフロンガスによって覆い、生じた気泡によって水の抵抗(浮力)を激減させて相模湾の海底に沈めてしまおうという作戦を立案します。

個人的にゴジラがなぜあの体重と水の表面積で立ったままぷかぷか浮いていられるのかは謎ですが、(;´▽`A“

とにかく深海の底に沈めて急激な圧力変化によって体を崩壊させ、予備作戦で、逆に急激な浮上をさせることで、内圧の変化で体を膨らませて爆発させてしまおう、というのが今回のワダツミ作戦です。

この辺が少し難しいのですが、簡単に言うと、人間も含めてすべての物体は内部からの圧力と外部からの圧力が等しいからこそ、その状態を保っています。

もし、どちらかの圧力が弱まると、弱い方に力が加わり、膨張してしまうのです。

そこでダイビングなどでもゆっくりと潜ったりすることですこしずつ圧力変化に慣れさせていく方法があります。

しかし、急激に圧力の低下や増加が起こると、内部と外部の圧力の差に対応できなくなり、結果的に爆発してしまうのです。

なぜ深海魚がめちゃくちゃすごい圧力の深海で生きていられるのか?というと、まさに、その内外の圧力が釣り合っている状態だから。

ゆえに急激な圧力の変化で浮上させると、死んでしまう(それゆえにゴジラの浮上で連れてこられた深海魚たちがたくさん死んで浮いていた)と考えられます。

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

「これは死ぬための戦いではないんです。今度の戦いは未来を生きるための戦いなんです」

戦争とは違い、国のために誰かを犠牲にするという戦いではなく、生き残るために、考えられる手段を取る、という反戦を掲げる山崎監督の思想が強く出た場面かなと思います。

それにしてもワダツミ(海神)作戦とは、シンゴジラのヤシマ作戦の昭和バージョンという感じで私的にはすごくワクワクしてしまいました(笑)。

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

一方、敷島は今回の作戦を絶対的に成功させ、ゴジラを今度こそ確実に葬り去る、という覚悟に満ちていました。

それはもはや過去の臆病だった彼とは見違えるほどの・・・。

敷島は誘導用にという名目で、戦闘機を取り寄せるように野田に頼みます。

そこで用意されたのが、第二次世界大戦末期に試作された局地戦闘機「震電」。

出典:wiki

震電。第二次世界大戦末期に日本海軍が試作した局地戦闘機である。前翼型の独特な機体形状を持つ、そのため「異端の翼」と呼ばれた。最高速度400ノット(約740km/h)以上の高速戦闘機の計画で、1945年(昭和20年)6月に試作機が完成、同年8月に試験飛行を行い終戦を迎えた。

ちなみにゼロ戦の最高速度は500キロ超なので、この戦闘機がいかにすごいか分かります。

山崎貴監督は開発者の息子にまで会いに行って映像化したそうです。

さらに、かつて大戸島で唯一生き残った整備兵の橘宗作を嘘の手紙でおびき出し、

「一緒に仇を討とう」とばかりに、橘宗作に戦闘機の修理を頼むのです。

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

敷島の臆病さによって仲間達を全て失い、敷島に憎しみしか持っていなかった橘宗作でしたが、

「震電のパーツを可能な限り外し、そこに25番と50番の爆弾を搭載してゴジラ口内に特攻する。これで確実にゴジラを葬れる」

という敷島の覚悟を目の当たりした橘宗作。

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

ゴジラによって愛する者と未来への希望を絶たれた彼には、過去への後悔と苦悩、そして決別以外に自分を保つ手段はなかったのかもしれません。

その悲壮がまさにこの目に宿っているように見えます。

あの大戸島で確実に倒しておけば、ゴジラは生きておらず、典子も死ぬことはなかったという襲い来る無念の気持ち。

これはすなわち、自分を絶対に許せない、ゴジラへの復讐と共に、自分も終わらせてやる、という覚悟だったと思います(死に場所を求めるサバイバーズギルドの再来)。

それゆえに、整備士として橘宗作以外に認めたくなかった。自分の最後と覚悟を見てほしかった。そして、自分を許さない人間にこそ、最後を託したかった、という想いが見えます。

そして、ついに作戦は決行されるのです。

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6クライマックス!ゴジラとの最後の戦い!

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

①まずはゴジラの周囲を二隻の巡視船によってぐるぐる巻きにして、身体にフロンガスのボンベとフローターを巻き付ける。この際、おとりとして先に二隻の船に熱線を浴びせさせ、時間稼ぎをする(ゴジラは熱線放射後、再生に時間がかかるため)

②一気にフロンガスを放出し、ゴジラを深海に沈める。

③ゴジラが深海の圧力に耐えた場合、フローターによって一気に浮上させ、ゴジラを減圧によって爆散させる。

というワダツミ作戦。

ゴジラの録音された泣き声を聞かせることで、縄張り争いに駆り出されたゴジラを誘導した野田たち。

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

一方の橘宗作と敷島も最後の出撃の準備を整え、覚悟の出立を迎えます。

この時の敷島の出発とそれを見送る橘宗作の敬礼シーンはゴジ泣の3番目のシーンでした。

敷島の優秀な操縦によって、ゴジラを海上に誘導することに成功し、ワダツミ作戦はついに開始されるのです!

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

ゴジラはおとりの艦隊に向かって熱線を放ち、圧倒的な破壊力でまず2隻を沈没させます。

その後、敷島の誘導によって無事に野田の立案した「ワダツミ作戦」が始まりますが・・・、

ゴジラはやはりその強靭な外殻によって深海の圧力を耐え抜き、さらに急浮上時にはバルーンを食い破るという頭脳プレーを発揮したことで、作戦はほとんど失敗します。

やむを得ず、旗艦船の「雪風」と「響」で無理やりゴジラを引き上げようとしますが、そこで助けに来たのが、新生丸の仲間だった水島四郎だったのです。

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

「戦争に行ったことのないお前らが未来を作るんだ」という未来を託すという意図で今回の作戦には入れてもらえなかった水島でしたが、まさか自分で漁船を含めた船団を作り、応援に駆け付けたのです!

この水島の心意気は、仮に誰かに道を否定されたとしても、「自分のやれることをやるしかねぇんだ!」という序盤の新生丸艇長の秋津が言っていたシーンと重なります。

言われたこともできずに役立たずと言われた若者がまさに日本の未来のために、自分から行動できる大人になる(本当の意味で今後の日本を任せられる)という印象的なシーンでした。

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

しかし、船団による浮上によって出てきたゴジラは、確かに体はボロボロになりつつも、再生を繰り返し、なおも生きていたのです。

そして、怒りに満ちたゴジラは放射熱線を浴びせようと口を開いて攻撃しようとした、まさにその瞬間!

敷島の乗った震電戦闘機が、ゴジラの口に飛び込み、そこで爆薬とともにゴジラの頭部を爆散したのです!

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

ゴジ泣4シーン目。この場面は敷島の覚悟と典子の写真、皆の声援も相まってぼろ泣きしました。。

敷島の特攻によって粉々に砕け散ったゴジラの頭。

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

ゴジラは自身の放とうとしていた熱線の行き場を失い、そのエネルギーは自分の体をボロボロに破壊し、ゴジラの肉体は崩れていきました。

一方、特攻したはずの敷島は、立花がつけていた脱出装置によって無事に脱出し、パラシュートによって帰還したのです!

これはまさに野田が言っていた、

「これは死ぬための戦いではないんです。今度の戦いは未来を生きるための戦いなんです」

というセリフ、そして、

「大日本帝国時代は脆弱な装甲の戦車、戦闘機に脱出装置など取り付けないなど、命を軽視しすぎていた」

というセリフの伏線の結果として残されていました。

さらに、橘が敷島の覚悟を見たことで、彼への怒りは消え、敬意の対象となったこと、

敷島自身も死に場所を求めていたはず(艇長の「無茶するな」のセリフに応答しなかったため、その時点ではまだ死を考えていたと思われます)が、最後の最後に典子の写真を見て、「生き残った人は生きなくちゃいけない!」と典子の胸の中で聞いたセリフを思い出した、と取れます。

橘を演じた青木さんも、「敷島は憎い相手ではあったけど、ちゃんと生きて還すことで、彼なりの罪滅ぼしができると考えたんだと思うし、それが戦争の終わらせ方だった」とおっしゃっています。

死んで終わるのではなく、生きるためにここで終わらせる。

そんな橘と敷島の覚悟の結果でしたね。

最後に、沈み行くゴジラに艦艇から敬礼する人々。

恐ろしい化け物としての存在だったはずのゴジラですが、

この時の彼等の目には敬意と畏怖が描かれており、

ゴジラという存在がまさに、

「神」であり、

同時に戦争によって犠牲になった英霊の化身としての存在、として思われていたことの証のような気がします(先の繁華街の銀座を破壊しつくした描写しかり)。

ゴジラというのは、まさに戦争(原爆の開発を含む)という大罪を犯した人間への神としての罰であり、戦争という人間の命を軽視した行いへの怨念そのものであって、

それを「命を未来につなぐために」戦った人間たちの希望が打ち負かした(怨念としての神の怒りを鎮めた)という風に読めました。

吉岡秀隆さんも「このゴジラの場面が脚本で神殺しと書かれていた」とのことで、「戦争で傷を負った人々がゴジラという神のような存在が自分を倒して、お前たちは未来を生きろと伝えているように感じてゴジラがかわいそうだった」そうです。

山崎監督も、日本のゴジラは「神」でもあるので、ハリウッド版のゴジラと違って直立姿勢にこだわったとのことです。

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7ゴジラ-1.0エンディングとラストの謎を考察!典子(浜辺美波さん)の首の意味は?

そして、エンディング。

無事に帰還した敷島のもとに、電報が届きます。

そこに書かれていたのはなんと・・・。

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

そう、あの典子が無事に生きている、という病院からの電報だったのです!

急いで病院に行き、ケガしながらも無事に生きている姿を見た敷島と明子。

3人は抱きしめあい、笑顔となり、このゴジラの物語は終幕となるのです。

よかったよかった・・・(最後また隣の人が引くくらいのぼろ泣き(´;ω;`))

と思いきや、微笑んで敷島を抱きしめていたこの時の典子(浜辺美波さん)の首には何やら黒い紋章のようなアザの印が見えます。

これは一体なんなのか?これがゴジラ-1.0の最大の伏線として残されました。

浜辺美波(大石典子)の首の黒いアザは何か?

これは、過去作品、特に平成ゴジラシリーズを見ていると、なんとなく想像がつきます。

あの首元の黒いアザは、明らかに典子がG細胞に侵食されていることを示していると考えてよいでしょう。

G細胞というのは、ゴジラ細胞の略称であり、傷を負っても驚異的な回復力を見せる、という不死身の特徴をもつ特有の遺伝子を持った細胞のことです。

ゴジラ細胞は、自分にとって有害な物質を駆逐し、放射能すらもエネルギーとして取り込む、という夢のような要素を持っています。

同時に他生物を侵食して取り込む、という恐ろしい副作用も持っていて、たとえば、ゴジラVSビオランテでは、研究で薔薇の細胞にG細胞を組み込んだ結果、薔薇の細胞をG細胞が取り込んでビオランテとして増殖、進化しました。

ゴジラvsビオランテ©

つまり、なぜ、あの熱線による爆風によって吹きい飛ばされた典子が生きていたのか?という理由は、まさにG細胞を取り込んだことによって、驚異的な再生能力を得たから、という答えが一番しっくりくるのです。

本来の人間なら、あの爆風で飛ばされる描写を見れば生きていることはまず考えにくい(ビルすらも崩壊させる圧力)のですから・・・。

そして、直後に降り注いだ黒い雨。

あれこそがゴジラ細胞を含んだ放射能の雨だったのです

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©

この銀座の後のセリフで、銀座周辺は放射能とゴジラの肉片が散らばり・・・というものがありましたが、これがその伏線であり、吹き飛ばされて瀕しの重傷だった典子に黒い雨が降り注ぎ、傷口がたまたまG細胞と適合したことで、驚異的な再生力で回復した、と考えてよさそうな気がします。

同時にここで、G細胞を制御できるのはゴジラだけであって、もしも典子が浸食されているとしたら、あの時敷島の目の前に現れて抱きしめた典子は本当の典子なのか?

という疑問も出てきます。

あくまでG細胞が作り出した典子をかたどった別物かもしれない、と。

そうなると、今後の展開はかなりホラーになる気もします。

まぁ、そこは考えすぎだとして、あの典子は本物であり、典子がG細胞で生き残った、と考えると、

今後、典子はG細胞に侵食されて怪物となってしまうのか?

あるいはG細胞を制御して新人類となるのか?

さらには、平成ゴジラシリーズのヒロイン三枝未希のように、超能力に目覚めて、

ゴジラと意思疎通(制御)できるようになるのか?など想像が膨らみます。

超能力を有する少女・三枝未希。ゴジラと意思疎通をし、制御したりしていました。ちなみに彼女はゴジラ細胞に侵されてはいません。

G細胞という概念がビオランテから本格的に登場したので、この時出てきた三枝もまたオマージュされたのかも?と思ったり。

さらに、それを裏付けるのが、エンディングの最後に登場したゴジラの再生シーンです。

ゴジラ マイナス ワン(ゴジラ-1・0)©東宝©パンフレット

最後に沈んでバラバラになった細胞の一つから、再び細胞分裂が急速に起こり、ゴジラが復活するような伏線が残されていました。

まさに最後の最後にゴジラ細胞を意識させるように作られていたので、この辺はやはり典子の首元はゴジラ細胞の影響と考えるのがしっくりきます。

ちなみに、この演出は山崎監督が好きだと言っていた2001年の「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」のラストで、バラバラになったゴジラの心臓がドクンドクンと脈打つ場面を彷彿とさせます。

この映画のゴジラも「かつて太平洋戦争で亡くなった怨念の集合体」と語られており、今回のゴジラの破壊っぷりに似たような感じで描かれているので、その辺もオマージュされているのかなと思います。

この後一体どうなるのか?ですが、

この後、同監督作品のALWAYS続三丁目の夕日の冒頭シーンにつながると考えると面白いです笑。

もっともこれは劇中の茶川の小説の妄想ではあるので、あくまでメタファー(遊び)の演出ですが、ALWAYSの作品自体が、このゴジラマイナスワンの世界とつながって、ゴジラの襲来からの復興だったと考えても面白い気がします。

そして、今後、ゴジラの二作目があるとしたら、東京タワーができた頃に再び現れる、という演出が描かれるかもしれません。

特に、再生シーンが描かれたということを考えると、戦争によって0となり、ゴジラによって-となった日本が、再び戦争の悲劇を忘れてしまった時代に、再び現れる・・・ということを示唆しているのかもしれませんね。

2作目をぜひ作ってほしい・・・。

8ゴジラは一体いつ、どこから現れたのか?考察。

ゴジラ-1.0のゴジラはいったい、いつどこから現れたの?というのも大きな謎の一つでしたね。

あらすじを見てきたように、今回のゴジラの特徴は、クロスロード作戦による放射能汚染に合う前から、すでに超再生能力を持っていたことが明らかにされています。

ということは、クロスロード作戦以前の原爆の影響で進化した、と考えることも可能です。

すなわち、ゴジラは日本近海を縄張りにしていたという事実から考えて、1945年の広島・長崎の原爆の影響によって誕生し、その後、クロスロード作戦によってさらに巨大化した、という考察です。

ただ、そうなると、大戸島の住民が「伝説」としてゴジラ(呉爾羅)の存在を語っていた、という事実に反する気がするのです。

伝説とはほんの数年で作られるものではありませんから・・・。

となると、やはりゴジラVSキングギドラで語られたように、もともと太平洋に生息していた古代生物「ゴジラザウルス」が元である、と考えるのがしっくり来る気がします。

ゴジラVSキングギドラ©

ゴジラザウルス。ゴジラ映画の中で最古の存在として描かれました。

1944年2月の太平洋戦争中にマーシャル諸島のラゴス島で日米両軍に目撃され、その後、水爆の影響によってゴジラザウルス→ゴジラとなりました。

ゴジラVSキングギドラの映画の中ではこのゴジラザウルスを未来人がベーリング海に移動させる・・・という展開から核廃棄物の影響でゴジラになります。

つまり、もともとは一種の恐竜であった、という解釈です。

ちなみに性格はおとなしく、雑食性で、日本兵を連合軍から守るようなそぶりも見せてくれました。

実際、初代ゴジラの設定でも、古代生物であったゴジラが、水爆実験によって目を覚ました、というものでしたので、ゴジラシリーズに共通して(シンゴジラを除く)、もともと太平洋、
南はマーシャル諸島から北はベーリング海まで広く生き残っていた古代生物であり、大戸島の伝説のように、深海魚とともに現れる、ということから、人類が未踏であった深海にて生息し続けていた、と考察します。

そして、古代生物のゴジラが生き残っていた理由こそ、その再生能力であり、深海の圧力にも耐えうる頑強さがあったからだと考えられます。

だからこそ、野田が語っていたようにゴジラは縄張り意識が強く、別個体のゴジラの存在を認識して(敵とみなす)いたと考えられるのです。
そう考えると、おそらく太平洋諸島には、未だ存在を知られていないゴジラ(呉爾羅)がいたとしてもおかしくないですね

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ゴジラ(呉爾羅)-1.0の感想

シンゴジラに続いてのゴジラ映画ということで、正直、見る前はかなりハードルが高かった気がします。

同時に、山崎監督はかの有名なドラクエユアストーリーでの酷評があったため、それも心配していたのが正直なところです。。

しかし!実際に見てみて、冒頭の飛行機の着陸シーンから、戦後の街並みのシーン、そして、ゴジラが登場したシーンや最後の決戦に至るまで、全く文句の付け所のない今年(というか今世紀)最高の作品でした!

ここまで夢中で(トイレも気にせずに)最後までドキドキ、時には涙しながら見た映画は久しぶりでした。

まるでALWAYSを彷彿とさせるように人々の生活が丁寧に描かれていたり、

ゴジラのテーマが流れたときの見せ方や、その圧倒的な戦闘シーン。

これは、いい意味でシンゴジラの演出を受け継ぎ、ゴジラの圧倒的なパワーと絶望、そして、SF好きにはたまらない、放射熱線攻撃の派手さ、というものが本当にうまく描かれていました。

さらに特攻というテーマにゴジラがよく織り交ぜられた脚本。

どれもが、今世紀の日本映画としては最高レベルだったように思います。

また、映画のテーマとして「生きるために抗え」というものがあり、

明確な反戦と反核兵器、さらには先の戦争の「国のために個人を犠牲にしても構わない」という命の軽視へのアンチテーゼ、というものがはっきりと描かれ、思想的な意味でも、観客に強く訴えるものがあった(見せ方や描き方がうまかった)と思います。

このあたりも、もともとの初代ゴジラが、第五福竜丸の事件を受けて反核兵器という点で制作された意図をかんがみても、初代作品へのリスペクトとしての山崎監督のゴジラ好きと思想がうまくマッチしたんだろうなと思います。

特に面白いなと思ったのが、シンゴジラは主に国の内部機関がメインとしてどう動くのか?現代だとどういう戦い方になるのか?が焦点であり、普段目にすることのない「もし、現代日本でゴジラが出たら、国(省庁閣僚)はどうなるのか?」という視点がすごく面白かったのに対し、

ラ-1.0は、反対に「国」に対しての「民間」の戦いという形で、国の犠牲になった人間たちの怨念や復讐、悲しみがゴジラとして象徴され、一方、国に見放されながらも、今後の日本の未来を担う生きている民間人が立ち向かう、という、VS国という全く逆の視点になっているように感じた点です。

そういう意味でも、シンゴジラの「怪物」としてのゴジラの見せ方を受け継ぎつつ、全く反対の形でゴジラと人間の在り方を描いたな、と脱帽しています。

また、主要俳優陣の演技も素晴らしかった・・・。

特に神木隆之介さん。

橘に対し、何がなんでも引き留めて修理を依頼する、というシーンですが、典子を失い、ある意味自暴自棄になりつつも、ゴジラや自分自身に対する恨みと怒りで、ある意味ネジがとんでしまっている、という狂気をこの目がうまく表しているなぁと感動しました。

娘の明子に「お母さんは遠くに行った」と言いつつ、抱きしめるシーンも、本人はこれから死地に向かうと分かっているため、どこか嘘くさい。明子に対する返事も、心ここにあらずという感じで、優しい声をかけつつも、やっぱり「(明子に対して)演技している」と感じさせる演技。

これがやっぱりうまい役者さんだなぁと思いました。

その他、俳優陣も見ていて本当にその役としてしっくり来たし、正直なところ、「演技」という点を見ても、トップクラスにすごい作品だったような気がします。

浜辺美波さんのゴジラの感想も面白くて、「ゴジラは最初は怖いものだと思っていたけれど、実際は、単純に陸にあがって振り返ったりしているだけで、それなのに皆に敵にされている」とおっしゃっています。

これもなるほど、と二回目を見たときに思いました。

確かにゴジラは最初に大戸島に現れたときも自分から攻撃していないし、目の前にいた敷島をスルーしています。

さらに、大型化した後も、自分を攻撃してきたものには徹底的に攻撃しますが、それ以外は単純に縄張りに入ったから攻撃したとか、陸にあがってただ進んだら戦車に撃たれたから攻撃した、というだけで、最初から人類に対して敵意むき出しだったわけではない、ようにも思えたのです。

ただ、今作のゴジラは人間に視線を合わせて人間を追っているようにも見えるため

見方によっては、日本人への復讐と怨念の塊のように、人間を追い回して徹底的に破壊しているように思えます。

これは他に敵となる大怪獣やビルが存在しないから、という解釈も可能です。

一方で、ただ自然のままに動いている、という解釈も可能で、その辺は見た人の感想次第なのかもしれません。

ゴジラ-1.0に次回作はあるのか?ゴジラの別個体と敵の存在について。

先に述べたように、山崎監督は『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001)が好きだとおっしゃっていますし、演出は非常に似ていた場面もありました。

とするならば、個人的にはぜひ次回作以降モスラとキングギドラも出してほしい・・・。

ゴジラ-1.0の意味は、0を初代ゴジラ(1954)と考えて、新しいシリーズとして今後、ゴジラ1~として現代で描かれる可能性もなきにしもあらずか?と思ったり。

平成ゴジラシリーズ等では、ゴジラは日本の守り神のような描かれ方ですが、今回のように野生にあふれた天災としてのゴジラと、同じく暴れ狂うキングギドラの戦いが描かれれば鳥肌ものですね。

やはり、映画の中で、野田健治元技師がゴジラの縄張り意識を利用しておびき寄せる作戦を立案していた点が個人的に一番気になっています。

①ゴジラに縄張り意識があること、

②実際にゴジラの鳴き声でおびき寄せられたこと、

③ゴジラ細胞は分離してバラバラになっても再生すること、の3点を考えても、

前述したように、ゴジラには別個体がいる、と考えても全く不思議ではなく、

それはゴジラそのものではなく、それこそビオランテやスペースゴジラのようなG細胞でできた他の個体であってもおかしくないのです。

スペースゴジラ。G細胞がブラックホールに飲み込まれ、その後結晶生物と結びついて生まれた別個体。そう言えば、スペースゴジラも同種族のゴジラを倒すために宇宙からやってきた、という設定でしたね。

また、G細胞を取り込んだ典子もまた、一種のゴジラに近い存在になりうるため、彼女を狙ってゴジラが来るのか?はたまた典子自身がゴジラに変異するのか?その辺の伏線も次回作で解き明かされればなぁと思っています。

次回作ゴジラ2.0(1は初代ゴジラとして)が存在するとするならば、ゴジラ細胞で変異していく典子と、再び絶望と苦悩に襲われながらゴジラと対峙する敷島の物語を描けそうですが、これはもはやゴジラ映画というより、ホラー要素が強すぎるので、次回作は全く別の登場人物で描かかれる可能性も高そうです。

大ヒットすると、おそらくこのような続編ができる可能性も高くなるのではないでしょうか。

今作は、映画として、

生き生きとした人々の戦後のシーン

特攻隊の苦悩と戦争の悲劇という(ある種感動を引き起こす)テーマ

シンゴジラを受け継ぐ現代版のゴジラの描かれ方

という3つの点が本当にぴったり当てはまった最高傑作でした。

山崎監督のこれまでの作品である「永遠の0」「アルキメデスの大戦」「三丁目の夕日」それらのいい所を全て含めて作り上げた集大成のゴジラという気がします。

これを超えるゴジラ映画を作る・・・というのはかなりハードルが高い気がしますが、時間がかかってもぜひ見てみたいっ!

また、もし、ゴジラをさらに体験したい方は、西武園ゆうえんちの「ゴジラ・ザ・ライド」をめちゃくちゃおすすめします。

これも、山崎監督の作品の一つで迫力がめちゃくちゃすごい上に、ディズニーランドのソアリンとほぼ同じような浮遊体験を味わうことができます。

場所が遠いからか、普通にそこまで並ばずに乗れるので、1日に何回も乗って楽しめます。

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ゴジラマイナスワンの皆の感想まとめ

以下、皆さんの感想も引用してまとめてみたいと思います☆

ゴジ泣きしてきた。他の日本映画が可哀想になるくらいの傑出した傑作。何が勝てるんだ?この面白さに。シン・ゴジラと本作の2本は、赫々たる偉業として日本映画に刻まれるだろう。ゴジラが日本映画のハードルを引き上げている、確実に。天晴れ。生きているうちにこの映画が見られて本当に良かった

ネタバレしない範囲で言うと、ゴジ泣きもユアストーリーもなかったが、思ってたほど暴れてくれなかったしやっぱりハリウッドは越えれねぇなって感想
ただ銀座での熱線のシーンは100000000億万点あっても足りないのでそれだけで見る価値はあった、あそこのシーンだけ何度でもみたい

・泣きっ面に蜂
・弱目に祟り目
・一難去らずにまた一難
・アキコちゃんかわいい
・親の声より聞いた「やったか!?」
・昔の東宝スタジオのプール撮影を彷彿とさせる迫力ある海上戦
・アキコちゃんかわいい
・ラストシーンで思わずゴジ泣き

とても面白かったです!!

『ゴジラ-1.0』映画館にて
令和でもゴジラを堪能できる喜びに浸る。過去最高の熱線描写を誇るゴジラと戦禍を生き延びた者たちによる未来を生きるための戦い。VFXのクオリティの高さに唸るばかりだった。本作の制作発表時は監督名だけで「ゴジ泣きw」等と茶化していたが、当時の私を引っ叩いてやりたい

『ゴジラ-1.0』

鑑賞終了。

やられた…やられた!!!!!!

今までのゴジラ映画の中でトップクラスに面白い映画だったぞ!!!!

こりゃほんとに…山崎貴監督やったぞこれは!!!!!

深く語れないのが悔しい!

素晴らしすぎる逸品そのものでした!

お見事なり!

シンゴジ発表時の雰囲気
「庵野秀明がゴジラぁ〜??絶対観念的な内容だしあの人実写の実績ほぼ無いやん期待出来ない」

公開後
「ごめんなさい」

マイナスワン発表時の雰囲気
「山崎貴がゴジラぁ〜??絶対原作クラッシュのファン激怒映画やん期待できない」

公開後
「ごめんなさい」

『ゴジラ-1.0』観ました
ネタバレ抜きに1言

「ゴジラに興味ないという人へ」
是非映画館行ってください。
間違いなく『すごく面白い映画』です。
是非映画館で体験して下さい

「ゴジラ好きの皆へ」
ここに最高のゴジラ映画あったぞ!!!!!!!…

ゴジラ-1.0見ました。

クッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッソ面白い

山崎監督最高。
しかも良い意味のゴジ泣きだった。

シンゴジ以來の衝撃だった
も一回見に行きたいな……

ゴジラ-1.0めっちゃ良かった…
初日に見に行って本当によかった…
シンゴジとどっちが?と盛り上がりそうな面白さで、
もうたまらなかったですよ

ゴジラ-1.0観てきたけどめっちゃ良かった。ゴジラの絶望感も美しさも存分に味わえて満足。っていうか人間ドラマ部分も良かったしわりと何もかもが良かったゴジラ映画。ゴジラ作品のバリエーションがまた一つ増えたなって感じで大満足だった。

『ゴジラ-1.0』
シン・ゴジラよりモンスター映画としての完成度高い
・戦後日本が舞台。ゴジラが来る絶望感が半端ない。演出と脚色◎

「ゴジラ-1.0」
「山崎貴がゴジラをやっている!」って劇中何度も思った。
それぐらい山崎節が効いているというか、山崎濃度が濃くて面白かった。
是非とも色んな監督にゴジラを撮ってもらいたい。
色んなゴジラが見たい!
山崎ゴジラ、最高でした。#ゴジラ #ゴジラマイナスワン

ゴジラ-1.0最高だった!
シリーズ屈指のカッコよさと姿現した時の絶望感たるや!
やっぱりゴジラは邦画が良い👍

『ゴジラ-1.0』観てきた。ゴジラ作品歴代1位ではないでしょうか。まずエンタメ感がないリアリティある恐ろしさが素晴らしい。圧倒的な破壊音が最高。1作目の様な海での倒し方、戦闘機、これも大好き。反戦。そして昭和後半と平成ゴジラの全否定。山崎貴、アルキメデスの経験が活かされてる!!

ユアストしてなくてちゃんと
ゴジラリスペクトしてちゃんとして面白かった

新しいゴジラ映画の感想がTLに流れてくる。どうやら概ね評判が良いらしい。同じ監督作品から「ユアストーリーされてない」という感想が出てくるのには笑ってしまった(笑ってはいけない)

※ユアストーリーとは、山崎同監督の作品であり、かの有名なドラクエ5をモチーフとした作品。名作であるにも関わらず、最後に変な独自解釈を入れてしまったせいで、作品とファンの願いを根本から覆してしまった・・・。(´;ω;`)

ゴジラ-1の感想で
「ユアストーリーしてなかった!」
「過度なゴジ泣き描写もない!」
って怪獣映画ファンにとって希望のコメントが溢れる中
「ゴジラはユアストーリーしてないのに何でユアストーリーはユアストーリーしたんだ!」
ってDQファンの悲痛な声が…
あ、「ゴジ泣き」ってそーゆー事?!(違

アルキメデスの大戦でもそうだったけど
山﨑貴監督は作りたい映像に特化すると凄い監督とだけ言っておこう

辛口で知られる映画批評家・前田有一氏も絶賛↓

『ゴジラ-1.0』は、この秋最大の話題作にして、超映画批評としてもイチオシの作品である。唯一の心配は、次のゴジラを監督する人には、ほとんど絶望の感想しか残らない事であろう。だがそれを吹き飛ばすほどのアイデアを持った人に、私はぜひ名乗りを上げてもらいたい。それが邦画のエンターテイメントの質を高めていく、唯一の方法であり希望だからだ。

今作は珍しく批評家からの評判もめちゃくちゃいいです♪

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かれん
今作は全くゴジラ作品初見の方でも楽しめるのは間違いないですし、シンゴジラにあったようなちょっとグロテスクシーンもほとんどないので、万人におすすめできる映画になった気がします。山崎監督にはぜひ次回作も作ってほしいです!

さらにあと何回か見て感想含めて追記します。続。

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